月曜日

とてとて28

ゆうべ友だちと話していて、「なんだかすごく覚えてる」もひとつの感情なのかなと思った。
彼女たちは記憶と感情がいつも明確に整理されているというか、感情のつまみを引いて記憶を取り出すような話しかたをしていたのだけれど、私は思い出したなにかがうれしかったとか悲しかったとかではなくて、ただひたすらつよく覚えていると感じることが多いのでいつも話がおちない。昔はそういうこともこわかったな

体調がわるくて、寒気がする。こころぼそい
ぎすぎすしてつよい記憶にあたまがぐるぐるする。

私が寝込んでいるとき、彼はなんでもしてあげるようと言いながらベッドの脇で手あそびをしていた。夕方に目覚めて、胃が空っぽで、なにか食べたいな、おなか空いたな、と言ったら彼はうんと答えた。なんとなく間延びしてきみはおなか空いている?と尋ねたら、まだそんなにかな、と返ってきて、彼はやんわりそのあともくつろいでいた。
そばにいてくれるあたたかさと、私ときみが反対の立場なら眠っている間におじやでもなんでもつくっているよ、というさみしさで、くるしくなった。
こわれゆく身体で涙目になりながら起き上がり、じぶんで釜を出してつくれるところまでご飯をつくった記憶がある。温かいものを食べたら、それまで上がる一方だった熱がすとんと下がった。ひとりの方がぜんぜん楽だったな、と思ってしまった。

でも彼のそういう無垢すぎるところを、きちんとつらい、私ならしないと言い切れるから、ずっといっしょにいられると思ったのだろう。
つらさ、あり得なさを見つけられないと、ただひたすらすきになるばかりで、こんな棘だらけのたましいでなんてとても近づけない。
いちばん近しい人に対して、私はよりいっそう残酷だ。

*

Eさんとのライブが無事に終わって、脱力とともに、かろうじて保てていた健全さがいっきに剥がれ落ちた気がする。皮膚の上で乾いた泥みたいに。
Eさんが、もうパパはここにいなくて、とこぼしたとき、会場から「いるよ、いるよ」という反応がかえってきて、そのとき私はそのやさしさをきちんと受け取った上で、「いないんだよ」と心に思った。いないことを含めてえみりさんの中にはずっといて、だから〈ここ〉にはどうしてもいないのだ、と勝手なことを思っていた。
Eさんの示した「いない」ということ、「いない」からこそEさんが生みだせた空気のうねりのようなものを、私のからだがなるべく長く覚えていられるといい。

音を添えるのはむずかしい。やっぱりむずかしかった。もっともっと自然な音が鳴るはずなのだけれど、私にはあれがせいいっぱいだった。けれど、Eさんが、私に初めて見せてくれたときよりもっと色濃くうつくしく踊り泣いていて、Eさんを思う人たちに見届けてもらえて、きっとそれ以上のことなんてなかったから、あの日はあの日のままでよかったのだろう。
たまらなく光栄で、私自身もずいぶん救われた日だった。

*

きょう、大学からかえるとき、喉はおもたく手足も凍え、心細くて頭が重くて、雪がしきりに舞っていて、死の香りが鼻の奥までしっかりしていた。心臓が怯えた金魚のようにこわばっていた。雪の降る日はどうしてこんなにしずかなのだろう。空をまっすぐみあげていると、記憶の、愛着の、後悔の、あこがれのすべてがぐちゃぐちゃにされて、なかったことみたいに透明になってすごいね。

じゅうぶんには会えなくて、大きな声で話せないくらいがいいのかもしれない。私ときみはそれくらい頼りないほうがいいのかもしれない。めぐりのために、ゆくさきの心のために。

*

いつまでも売れ残ってくれていると思っていた折坂悠太のユリイカが見当たらなかった。

とてとて27

心のさまは日常のいくつもの断面とかさなる。
不安になるくらい静かな鼓動が、なにかの拍子に怖いくらいうるさくなること。
明かりをつけても手をかざしても熟睡したままの金魚が、ふと眼をはなした隙になんでもないような顔でわたわたと泳いでいること。
ベランダのひなたで本を読んでいて、うたた寝から覚めた頃にはすっかり翳って手足が冷えていること。
さっきまで程よく煮えていた野菜が、次の瞬間につよい匂いを放って焦げ出すこと。
思い出したときにはもう花が枯れていること。
空き缶回収車が過ぎ去っていること。

あんなに生きていけると思っていたのに、あれ、あれ、と些細なつっかえを気にしているうちに手の施しようがなくなっている。日常のぜつぼうに決定的な間違いなんて見つけられない。だからただしく編み直すのにひどく時間がかかる。

お酒はのまなくてもまだ平気だ、眠りの質もよいし無茶苦茶なこともしていない。
でも、まともな頭で向き合う生活はすごく長い。泣きたくても勢いがないから泣けないし、ぐずぐずうずくまっているばかりだ。

おととい、きのうと友だちにたくさんの話をした。友だちの話もたくさん聞いた。カラオケに行って片想いをみんなで歌った。帰りは大粒の雨が降っていた。
今日までの一週間に、わたしはいろんな顔をしていろんなことを喋った。信じられなかったはずの一週間をきちんと生きて今もここにいて、そういうことがやっぱり明日からも繰り返されるのだと思うと、途方もない心地がする。怖いことばかりではなかったのだから、明日からだってうつむく必要はないのに、ひとりで考え込むとどうもよくない。


すきだったのに想いを断てなかった人がいるというのは、案外しあわせなことなのかもしれない。心を完全なままどこかへ預けたりとり戻したりすると、いつも乾いているか、いつも濡れているか、いつもここにあるか、いつもなんにもないか、みたいなことばかりで、とてもひとりでは面倒を見きれない。心の一部だけはあの子の元でずっと笑っていて、わたしはとり残された'あまり'の方なのだから、ぐしゃぐしゃになってもいいのだ。そう思っているほうがずっといい。

とてとて26

ふしぎな夢を見た。
みやこが冷たくなったあと、金魚に姿を変えて、生死をまきもどすように、花の蕾がひらくように泳ぎ出すのを見届けた。
ことばで説明するとしらじらしく感じられるけれど、私の中ではかけがえのない光景だった。たいせつな存在がからだを持っているということに、いつまでしがみついてしまうのだろう。

年の瀬のライブに向けて、毎週音合わせをしている。
いっしょに出演するEさんが無音で踊る時間を、ぼんやりながめているのがすきだ。
きょう、Eさんはからだを火照らせながらおどり泣いていた。あんなにきれいに涙を流すひとをはじめてみた。今回のお誘いに対しては、まったくいい意味で、なにかをおおきく期待するというようなことがいっさいなかったのだけれど、もう、今日でじゅうぶんだ、と思った。窓から小粒のひかりがいくつも揺れていた。

Eさんを見ていると、Eさんにからだがあってよかった、と思う。そんなEさんの心をすこしでもひきだせるような音を鳴らすために(ときに静寂を生みだすために)、いま私にはまだからだが必要なのだ、とも思う。でもからだが無くても、からだが無いなりにみんな自由にやれているような気がする。すきに夢にあらわれたり、すきにひかりを揺らしたり、すきにもの音を立てたり、ささやいたり。
そんな風に思えたきょうの空気が、22日、来てくれた人たちにも伝わるのならどれだけうれしいだろう。夕べまでの錆のような重たい不安は、おなじ重みでも、もっとしっとりとした祈りに変わった。いまの私にはきちんとはこび届けられるものがある。それをそばで見ていてくれる存在がいる。

時間がたしかに過ぎてゆく。数えきれないほどの〈あの日〉から、一歩ずつ離れてゆく。さびしいのはどんな日でもかわらない、これからもずっとかわらない。なにを失っても、なにを得ても。樹洞のように傷ついた感触をたしかめて、かわらないさびしさに縋りながら、すくわれながら、なつかしい来訪者を待っていよう。いつの日も木のように居られたらいい。

日曜日

とてとて25

みやこがもういないということを考えても考えても、どうしても日常はつづく。
やらないといけないこともたくさんある。ごはんを食べないと内臓がちぢむようだし、座りっぱなしだと胸がつまる。

みやこに会えないことが信じられないままずーっとずうーっとつづいてゆく。
きょうはこごえながら市子さんのライブを見にいった。

市子さんが歌ってくれているあいだは、からだを脱いだわたしのともだちもみんなそばにいるような気がして、もちろんみやこも、まじわらないせかいになにかを嗅ぎつけて、市子さんの足元まで来ているような気がした。涙がとまらなかった。みんな泣いていた。

市子さんが、こんなところまで来てくれる人たちはみんな変な人だと思うけれど、と言っていて、なんだかとてもうれしかった。

市子さんが歌いおわって、冷たい道を歩いて帰ってきた。
家に着いてみやこの写真をみたら、また呆然としてしまって、やっぱりだれかに先立たれる痛みというのはとてもゆっくりとした時間をもっているのだろうと思いなおす。

それでも、市子さんが歌ってくれたあの時間、あの時間だけひたすら溢れるままに泣いて思い思いの世界に浸れていたという記憶が、これからの私にあってよかった。
生きているかぎりはしかたなく、からだを通して、世界をうけとめてゆこうと思う。

木曜日

とてとて24

おとといは一睡もできず、ゆうべもそこまでよい寝つきではなく、今朝はふらふらとバイトに行って、もたもたしてしまった。もうつかれた。あたまが真っ白だ。

みやこがもうもたないだろうということで、明日の日中に新幹線で帰省する。なにを思えばいいだろう、昼間に泣きすぎてもう心もぐったりしてしまっている。

みやこが瞳をとじるまで、胸いっぱいの思いで接してあげられるだろうか。
弱りゆくみやこの姿から目を逸らしてしまわないだろうか、涙をこぼしてしまわないだろうか。

ぼうっと過ごしていたら夜になった。
もう今日もてきとうに終わらせよう。毎日、あしたを、あさってを、つぎの週末をどんなきもちで過ごすのかまったく想像がつかない。思うよりも傷を引きずりながら、思うよりも冷静に生きているじぶんを予感することにうんざりする。

火曜日

とてとて23

みじかい靴下ばかり履いているせいでくるぶしがひどく冷え、一気に体調がわるくなった。なさけない、この身体と何年付き合っているというの、なさけない、なさけない…

今日まで4日間連続で目覚ましを聞き逃して日がのぼるまで眠ってしまっている。寝坊してバイト先に迷惑をかけるくらいならおやすみをもらおうかと思っていたのだけれど、すでに病欠が出ているらしくて申し出ることができなかった。私がどれだけ配慮しても身体が言うことを聞かなかった場合、私の誠意がどうこうなど関係なく職場の人に迷惑がかかり、あーあと思われて、時間どおりにあかりの灯る朝のうつくしい厨房に水を差してしまうのだろう。そんなのいやだ…

きょうは研究室の卒論中間報告会があったのでがんばって家を出た。さいごまでは居られなかったけれどきちんと出席できてよかったと思う。誠実な論考のさなかにいる先輩方の姿を見れてよかったと思う、質疑応答も思っていたより張り詰めてはいなくて、さまざま指摘は飛び交いながらもはねつけるような言葉がひとつもなかった。私も、がんばらなくては。

夕方ひとりでニハチ喫茶に向かう。いつものオーナーさん。彼女のやさしさにもようやく気後れせずいられるようになってきた。毎週でも来られたらほんとうはよいのだけれど。
営業再開してからは16時にお店が閉まってしまうのがすこし物足りなくて、ああ17時までここにいられたらなと思うこともあるけれど、日の短い秋冬にはすこし早いくらいで帰路に着くのがいい気もする。なぜかお店側に(オーナーさんと言うよりかは、その椅子やそのテーブル、その空になったマグカップに)、もうお家に帰ったほうがいいよ、と言われているみたいで、すなおに従うと、ああ今帰るよう促してもらえてよかった、と実感する。ふしぎ、なにがってうまく言えないけれどいつも、これ以上おそかったらおなじかえり道も全部むちゃくちゃになっていただろうと感じる。

ようやくおじいちゃんたちに送る写真をプリントできた。
やろうやろうと思っていながらどうしても出来なかったことごとも、出来てしまうとどうして出来なかったのかほんとうにわからなくなる。きっとこれからもそういうことばかりくりかえすのだろうけれど、今日はひとまず、えらかった。うごけない日々にひとつ星を降らせられて、えらかった。

月曜日

とてとて22

サッポロのウィズビア アンバーエールをひと缶。
淡い紫色のパッケージがきれい。
ホルモンバランスが崩れて無限に眠れてしまう。

今朝はスマホから大雨の音が流れていて、きっと温かい嵐の日なのだと思いながら目が覚めた。外はおだやかに晴れていたけれど、まどろみの中でたしかにつよい雨を感じていた。
腰がずっといたくて、明るいうちにしていたことはほとんど思い出せない。

スーパーでぼんやり食材を眺めているあいだ親と話していて、またみやこの元気がないことを知る。夏に帰ったときすでに痩せ細ってかなり弱ってしまっていて、もう会えないかもといちど覚悟を決めていたから、逆にこんな冬の手前までよくがんばったね、という労りの思いがまっさきに来る。でも電話を切ってから、ほんとうにいよいよ、みやこももう美味しいものをもりもり食べたり、猫草やとんぼや川魚にはしゃいだりできないのかな、とか、あたたかいところへ移ってのどを鳴らすこともできないのかな、とか考えるといたたまれなくて、どんどん頭がみやこでいっぱいになる。みやこ。みやこ。

やがてくる別れに今から動揺する。もう一度会いたいとも思うし、もしどうにもつらくてくるしいのだとしたら、もうがんばらないで、いちばん気の抜けるときに、もうからだを捨てていいよ、さきにきれいなところへ向かっていいよ、とも思う。みやこはずっとずっといい子だったからだいじょうぶだ。からだを捨ててもずっとあたたかいものに守られている。

みやこに会いたい。もう会えるかもわからない。今も燃えているみやこのいのちのあたたかさを最後にもう一度だけたしかめて、一生覚えていられるように、たくさんたくさん見つめてそばにいてあげたい。ぜんぶきっと人間のわがままなのだろうけれど、ぜんぶほんとうに勝手なのだけれど、それでも私はみやこのことがすこしだけわかる気がする。ただとなりに居られたらそれが、きっとみやこにとってのなつかしいある日と重なってくれる気がする。私の持て余している日々すべて、あげられるだけみやこに捧げられたらよいのに。いまごろどうしているだろう

日曜日

とてとて21

ゆうべ眠るのがおそかったのもあるけれど、今朝はずいぶんゆっくりと眠れた。気がついたら11時だった。毛布の内側だけはかんぺきに暖かくて、頬にふれる空気と鼻から吸う空気から部屋はきんと冷えていることがわかって、カーテンの隙間からよわく光が漏れだしていて、とてもしずかで、もうそれは私のよく知っている北国の冬の朝だった。なんだかたまらない思いになった、泣きたいような、なつかしいような、うれしいような、さびしいような。隣の部屋(ワンルームの我が家に隣の部屋なんてないのだけれど)へ続く引き戸をひらいたら、木の子をきれいに並べたりお湯を沸かしたり大貫妙子のCDを流したりしている母親の背中が見えて(その部屋は薪ストーブの炎でじゅうぶんにあたたかい)、チャパティとチャイでおそめの朝食をとる弟が居る。父はもう畑仕事に出ていて、猫たちはめいめいに床で溶けている。私がまだいたいけな少女だったころの日曜日のあさ。パーマもお酒も血の色差も、ひとり暮らしの冷蔵庫の匂いも知らなかったころの冬のあさ。

ムクさんがぼうっとしていると私まで際限なくぼうっとしてしまいそうになる。カーテンをあけて、ムクさんの水槽にも光がはいるようにする。ハッとしてこちらへパタパタと顔を向けてくれるかわいいムクさん、私のかけがえのないかぞく。

きのうは友だちと編み物をしてラーメンを食べた、このところずっとご飯が美味しく食べられなくてつらかったけれど、友だちと並んで食べるラーメンはおいしかった。お互いの気まぐれがたまたまあっているだけの幼ない親しさではない。転び先をまちがえたら砂のように崩れてしまうような血の気のおおい親しさではない。ほんとうにひたひたと、見慣れたかおで居てくれることがどれだけうれしいかを思わされるような、冬の日の陽なたにあたたまる窓辺の椅子のような友だち。別れるとき勝手に、こんなうれしさを忘れないでいたいねと思っている。きみが今の苦しさをぜったい覚えていようと呟いた夏の夜から、もうずいぶん時もながれた

心臓が肥大しているようにくるしくて今日もほとんど部屋を出られなかったのに、やらないといけないことはどれもけなげで明朗なことばかりなのが可笑しい。あまり考えすぎないようにする。気を抜くと泣いてしまうから、眠りにつくまでは心にちからをいれて、あまりへんなことしないようにして。元気そうにも元気なさそうにも思えるような声ではなして、ときどき笑う拍子にプツって引きちぎれそうになって、そういうときたまらなくさみしい。ほんとうはおおきな熊のようなだれかに抱きしめていてほしい。

夜ようやく部屋を出てアイスとビールを買った。コンビニまで歩いていていろんなこと思い出したよ、酩酊で星を見あげながら夜中の横断歩道を踊ったりしてた、世界のことなんにも考えないでキスをして傷つけあったりしてた、声の出ないしずかさをおおきな音楽で埋め尽くしたりしてた、泣きながら手紙を書いたりしてたね。私もどんどん落ち着いてゆく、今よりずっとよわいおとなになってゆくのだろう

金曜日

とてとて20

風邪をひいてしまった。咳がこんこんとまらない。
なにか栄養のあるものを、元気のでるものを食べなくちゃとスーパーに行っても、目に映る何もかも、それが調理されて身体に入ったあとの感覚を想像すると途端に胸がむかむかして、嗚咽のようなものまでして、けっきょくなにも買えない。

私ひとりで私を管理しきれない。むりやりだれかにげんきにしてもらわないと…でもだれに?


さてそこで、私は何をしたらよいか。もうそれは決まっている。誰一人、入ることものぞくことも出来ない場所を創ること。何という美しい仕事だろう。この場所は私にとって楽園とはなり得ない。けれどもそれを創るために、一冊の新しいノートを用意し、抑え切れない私だけを正直に書いて行くことである。もう何か溢れ出てくる気分がする。しかし、そこへ書くことは暫く待たねばならない。書くことは、私にとって、まだ凝結し切らないものまでも引きずり出してしまうから。 -『若き日の山』/ 串田孫一


たいせつな一冊の日記をひらいたとき、ときどき、じぶんの腑や古い皮までもそこに飛び散って染みついているような気がして動けなくなる。治るまえのかさぶたを引っ掻いてしまったときにあらわになる生々しい皮膚の内がわのようにも見えて、なすすべなくいる。

今日したこと  1限の受講、読書、日光浴
今日食べたもの 友だちの送ってくれた琥珀糖

木曜日

とてとて19

夜になると毎日おなじように心臓の音がおおきくなり、動悸で寝付けなくなる。からだはひどく疲れているのに。
なにをどんなふうに食べていたかも思い出せない、無心でみかんばかり口に詰め込む。
流しが汚い、花が乾いている、洗濯物が畳めない。

いろんな約束を先延ばしにしてしまっている、手紙も、書くね書くねといいながら誰にも書けていない。心の中ではたくさん話しかけていて、会いたいなどうしているかなと思っている人にも、じぶんからはなにひとつ接触できない。

キセルやキリンジ、折坂悠太、中村佳穂、haruka nakamura、だいすきな人たちの歌をたくさん聴いて、声でなぞっているあいだはこれからもきっと、と思えるのだけれど、曲が終わってしまってひとり、自分だけの感情を抱えた私が取り残されてしまうと、やっぱり私にはなにもできなくて。彼や彼女らのようにかなしみも眩しく、柔らかく、表現できる人たちがいるのなら私はいらない、私はなにもしなくていい。でもなにかをしていないと、絶えず表現していないと気がおかしくなりそうで、でも表現したところで虚しくて、そのくりかえし。ずっとぐらぐらしている。

母が今日も気にかけて連絡をくれた。まわりの人びとがやさしくて、それさえ胸を締め付ける。


だれかきて、だれかたすけて、だれかきいて

誰も来るな、誰も触るな、誰にも分かるものか…


今はただあこがれをなるべくありのまま、心の中の箱にしまう。
蝶の標本に触れるみたいに慎重に、息を止めて、慎重に、顔がくしゃくしゃになって、腰が引けて、とてもおそろしいものに触れるみたいに慎重に、あこがれを、ずっと向こうにあるあこがれを、生いゆくじぶんと流れつづける世界をどうにか信じて、心の中の箱にだいじに仕舞う。

仕舞えたら、あとはすみやかに蓋を閉めて、なるべく直視しないことだ。
あこがれはその間接的な記憶と温度でたしかめているのがいい、なるべく直視せず、心の温まるに連れてゆっくりふくらんで自然に箱から出てくるまで、ただしずかに抱えておくことだ。

今日もたくさん祈りながら眠る。
もし生まれ変わるなら、どんなにはげしい競争をしても戦争だけはしない生き物に生まれたい。どんなに紅い血を飲むような生態をもっても、戦争だけはしない生き物に

水曜日

とてとて18

いま世界で起きていることを考えていたら朝からおかしくなってしまって、両親に電話をかけた。
ふたりは隣町の配達に出す野菜を仕分けているところだった。明確な理由があって、完全にどうしようもないことで苦しんでいるときの私に対してふたりはとてもやさしい(訳もなくかなしいときのきもちがあまり共有できないだけで、いつだってふたりはやさしいのだけれど)。
母は、そういうどうしようもなくやるせなく涙がでてくるときこそ表現したらよいと言った。とにかく目の前を生きて、死ぬまで生きてゆくしかないと。父は、今の時代の世界のことは22歳がひとりで考えるには重たすぎると言った。50歳の父でもむずかしいことについて22歳の私が答えをだせるわけがないのだ、だからたくさん本を読むといいよと言った。 年末、いっしょに塩を炊く約束をした。

泣きながらずっと、うん、うん、うんとこたえて2限の授業へ向かった。涙にエネルギーを持っていかれてどこもかしこも灰色だった、私のしらないところで今も誰かが怯えたり傷ついたり息を引き取ったりしているのが信じられないくらい、ここではなんでもなく時間が過ぎている。私は私の運びこまれたこの場所でできることをしないといけない。文学なんて、音楽なんて、と目の前のすべてぐちゃぐちゃに破りたくなる衝動にまけないように

ほんとうはやさしい小説のなかに没頭していたいけれど、知らないから余計におそろしくて、知ることでしか解消されない不安がおおきすぎて、歴史や国際政治や社会問題の書籍ばかり読んでしまう。くるしい、うう、ううと思いながらもそれを読むこと以外できない

母が、こんな思いこそ歌にしたらいいと言ってくれたけれど、それがずっと私にはおそろしい。どうしようもない思いに名前をつけてひとつの結果としてしまうことで、私自身がひとつゆるされたようなきもちになるのがとてもおそろしい。そうなりたくないと思っていてもきっとそうなってしまう。それに、根源的には目の前の死もとおくの死もどんな痛みもかなしみも私の中ではおなじであって、わざわざ区別して歌うこともなにかちがうような気がする。うまく言えない。こんな思いこそ、とはどういうことなんだろう、私は折に触れてずっとおなじことをおなじ思いで歌ってきたはずだ。それが伝わらないのだとしたらまだ私はくだらないことしかできていないのだと思う、これまでのことばも歌も。もっと深く心を見据えないといけない、もっと注意深く息をして声を呼びよせないといけない。

バイトの前の日でもあまり動揺しなくなった(そんなことよりもおおきな不安をたくさん抱えているからかもしれないけれど)。Kちゃんのくれたレモングラスをぐり茶といっしょに淹れた。ほっとしてまた涙がでてくる。慎重に暮らす、せめて祈りながら

火曜日

-

じぶんの幼い頃からおおきな存在だっただれかをすこしずつ失う歳になってしまったんだ。だれだっていつか身体を脱いでこの世界からはなれるのだということはもう擦り切れるほど自分でも考えてきたけれど、痛ましいとか、かなしいとかそういうくっきりとした感情でなくて、耳が金属のような音を立てるほど寒い日に急に暖かい部屋へ入ったときのような、プール授業のあとに廊下を歩いているときのような、全身の力がするすると溢れて、かくん と倒れてしてしまうような、そんな感触。

去年の春、はじめて出会った友だちの家から帰った日に、友だちのすきだった音楽家が亡くなった。あのときのきみもこんなきもちだったのだろうか。よわってしまってなにを言うにも曖昧なのだけれど、すきなだれかが姿を変えたことに取り残されてしまったようなきもちになって、心細くいるのだということを、身近なひとに知っていて欲しかったのかもしれない。

数日経った夜に、その子は珍しくぶわっと息せき切ったように連絡をしてきて、私は言いたくもないようなことばかりで相槌をうっていた記憶がある。あのとき、今のこんな思いできみの手をとってあげられたらよかったのに

ふだんはことば数おおく話せないひとにたくさん、たくさん思っていることを話したい。ベランダの先の眺めにひとり言つようにつらつらと きっと話せないのだろうけれど

谷川さんの詩集をあるだけ本棚から取り出してぽつりぽつりと読んでいる。今日は一段とさむくて日が暮れるのも早く感じる。

月曜日

とてとて17

盛岡で買った胡桃をようやく割った。
水に浸してから乾煎りして、マイナスドライバーでぐりぐりとヒビをこじあける。
欠けた殻が弾丸のように飛び散ったりしてけっこう危うい時間だった。
殻を割ってからも、なかの実を取り出すのにずいぶん苦労する。7割が粉々になってしまったけれど、欲しかったのは胡桃の殻のほうだからいいかな。それに、粉々の胡桃だっていろんなことに使える。カボチャと和えてサラダにしたり

きょうはぜったいお酒を飲まないと決めていたはずなのだけれど、ビリーホリデイを聴きながら、気がついたらブランデーを舐めている。もう1年くらい聴いているレコードなのに、さっき初めて、ビリーホリデイを知るきっかけになった曲が収録されていることを発見した。solitudeという曲。酔っ払ったときにばかり聴いていたから、ちっとも分かってなかった。ねむたくなってきて、まだお風呂もご飯も済んでいないのにこのままとろとろと気を失ってしまいたくなる。

パソコン上で完結するバイトは、はじめはいい条件だと思っていても次第に作業がむずかしくなってきて、けっきょく1ヶ月で単発1日分くらいしか稼げない。これに懲りてリモートバイトはやめてきちんと現場に出る機会を増やそうかなあ。人に会うことの不安定さと、報酬の保証されないことの不安定さ、どちらを取るか(こう言うことを考えるたびにもういいよ、もうどうでもいいよと心が拗ねてしまって消えたくなる)。

たくさん人に会って、わめいて、言うつもりのなかったことやうまく言いたかったのに失敗してしまったことがたくさんあっても、まだ私の手帳の中にしか共有されていないきもちの方がずっと多いと思う。じぶんについて洗いざらい共有されてしまうことや、共有されていると思われてしまうことが今でもこわい。こんなに窓の多いひらけた場所を選んで生きていて、勝手に隠れたくなっているのがそもそもちぐはぐなことなのだけれど。

冷え込みは日に日に厳しくなって、空気がしんとしていて、空がきれいで、頬がつめたくてほんとうにうれしい。街へ向かう曲がり坂を駆け上がるとき、深い森のような風がかおり立って切なくなって、友だちの隣にいるときとおなじきもちになる。うれしくて、本人にも今すぐ言いたくなるけれど、困らせてしまいそうでやっぱり言えない。ひっぱられて思うように振る舞えない。

ひとりの時間に満足しながら、心の中でずっとだれか、誰かってつぶやいて、あの子から連絡が来ないかな、あの子から手紙が来ないかなって頭の中がうるさくて、もう秋なのにぜんぜん腰を据えられないでいる。
なんの約束ごともないだれかに甘えたい、おおきく笑いながらどんどん冷えていく心の感触を、直にさわって確かめられたい。そんなこと出来っこないしよくよく考えればされたくもないのに、そうだといいのになっていつも思う。

金曜日

とてとて16

肌寒くなると、じぶんの過ちがふたたび繰り返される予感がして苦しくなる。
だれからも距離を置いて、身を隠して、なるべく余計なことをしないで激情が過ぎるのを待つ。
この冬を乗り越えられても、きっとわたしはおそろしい感情を克服できない。ただ旬を過ぎておとなしくなった果樹のように立ちすくむだけ。

淋しい思いをさせてくれる人を大切に思っている。すきな人がくれた淋しさはたからものだと思っている。でもそのせいで、自分が人に淋しい思いをさせてしまうことそのものにもあまり怖さを抱けない。悪いことをしているように思えない。それで、さんざん人を追い込んで、絞り出されたような淋しさを直接向けられたとき、急に堪らなくなって死にたくなる。そんなことをもう何年続けているのだろう。あまりにも自分勝手だ

やさしくすることと淋しくさせないことは違う。
私は大切な人たちにどうしたいのだろう?

誰かを思うときに誰かに背を向けていること、そういう当たり前のことが悲しくて、きもち悪くて、今すぐ私がこの存在ごといなくなれたらどんなに楽だろうと思う。
くるしい。恋だろうが愛だろうが、友だちだろうが家族だろうがなんだろうが、私には人に言えないきもちがある。それらを分かられたくもないし、触れられたくもない。でもいつかこんなじぶんの全てを知っていてくれる存在に会えたらと、気が遠くなるような思いで生きている。神さま。

私はいつだって、あなただけの私にはなれない。
特別だということをことばにしたくない。ことばにされた瞬間、完全ではないことを実感してしまって、もうおなじではいられない気がしてくる。

ひとりになりたい 物理的に観念的に ひとりになりたい うまれなおしたい


土曜日

とてとて15

別の場所で無造作につづけていたブログをやめて、自分がいかに黙っていられなかったのかを実感した。近ごろはもうとてもことばにできないよ、という思いで過ごしている。ほんとうのことは沈黙でさえ触れられないもの

夜、実家から届いた荷物にはいきいきとしたみどりたち。うれしく、あまりにもまぶしくてため息がでた。私の生まれた土地の生命力に打ちのめされてしまう。
食用ほおずき、今季最後のトマトたち、野沢菜、水菜、蕪にかぼちゃに青梗菜。
せいいっぱい迎え入れるのだ、と居直って竹ざるに野菜を乗せた。
夏、離れた街まで友だちとドライブをしたときにちいさな商店で買った竹ざるはかわいらしくてよい色をしている。この竹ざるに私が息を荒くしていたそばで、友だちふたりは大昔の雑誌を見ていた。手に取るたび過ぎた季節を思う。きっと向こうにとっては何気なかったあの日のことが私には今もじんとうれしくて。きょう名前を呼びあえるひとりひとり、どこからか告げられた順番にしたがってとおくへ行ってしまうのだと思うと目を瞑りたくなる。
これ以上人間をすきになりたくなくて、むりやり植物図鑑をひらいて編み針をたぐり寄せる。たのしいからではなく、かなしくなりたくなくて無心でつづけていることばかりだ。

かざぐるま


泣いちゃいけない 叫ぶなんてもってのほか

私はまだあなたを見つけられていないのだから

押し黙り、いろとりどりの痛みならべて

風車をもって待っている


泣いちゃいけない

草のかすめる音ひとつだって

取りこぼしてしまわないように

あなたから放たれる風が迷いはてて

私を選んでくれるまで

私はここで押し黙り、いろとりどりの痛みならべて

風車をもって待っている

水曜日

古いオルガン

書き記しておきたいことがさまざまあるのだけれど、うまくことばにならない。
断片的な記憶。

先週は西の町で祖父母と過ごしていて、もう何十回と訪れていながら一度も触ったことのなかったパイプオルガンを弾かせてもらった。ふたつのペダルをボートのようにゆっくり絶えまなく踏み込みながら鍵盤に手を置く。まっすぐ、身体の中心までしっかりと響く音。とてもちからづよく、けれどどこまでもやさしく。

祖父は教会でよく讃美歌の伴奏を弾いていたらしく、徐に楽譜をとり出して讃美歌310番を弾いて聴かせてくれた。奥の台所で食器を洗っていた祖母がその音色に声をかさね、秋の夜を聖なる空気で充していた。ほんの数分の、うっとりするような時間。うちのめされるほどにうつくしい時間だった。

祖父母と別れてからもあのオルガンとハーモニーが耳の奥にこだましている。あの日を超えるような音楽はもう二度と聴けないようなそんな気持ちにさえなる。祖父母の奏でる音はあたたかかった、さりげなくて、ただ純粋に音に肩寄せて、慈しみの心と祈りだけで紡いでいるような音だった。

私はこの手と声でなにを奏でられる。
よろこびとともに、自分の乏しさを実感する日だった。じぶんの痛みに固執して、擦り切れたことばをいつまでもくりかえして、なにも見えていない私になにが遺せるというのか。

古いオルガンと祖父母の讃美歌は、古い鏡のおくの景色のようにいつまでも私を見ているようだった。やさしくてきびしい願いを託されたような心地。私は私の編みちがえた目をひとつずつほどいてゆかなければならない。たまらない孤独と焦り、でもこうでもしなければ、私は私を見損ないつづけるような気がしてならない。

木曜日

とてとて14

もうどうでもいいよう

わかられては堪らないよ

手紙も電話もいらないよう

とおくつながっているなんて幻だよ

水曜日

とてとて 13

両親と話して、やっぱり私はこの苦しさを生命力の栄養にするために、ひとのせいにもなにのせいにもしないで生きなければならないと思わされた
それは両親の思想であって私に当てはまるかどうかはわからないけれど、すくなくとも私の心の痛点は両親とは重ならない じぶんの痛みがなにに由来するものなのかを辿って結局じぶんに行き着いたときの孤独感 

母が泣いた日のこと、父が傷を負った日のこと、その悲劇に突き放されたふた周りうえの友人のこと 悲しみかたはかわらなくて、ただかなしみの器になる怒りだけを喪失した状態 人それぞれに痛みを抱えて脆いままそこにいると思うと、怒りのようなものはそのまましおれてのどにひっかかる かなしみにおぼれそうになる

どんな形でもいいから痛みに寄り添えるものをつくりつづけたい

今のこのかなしさと、夜の砂漠のような痛み 忘れない、目前の問題が解決してもその先も、忘れない

水曜日

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きろく

おじいちゃんおばあちゃん、両親、おとうと、実家の猫たち、羊たち、友だち、学校の先生、すきなひと、すきだった子、すきだったひと、地域のおじさんおばさん、同級生、みんなしあわせに長生きしてほしい 誰も失いたくない

とてとて 12

身体が歪んでるなあと思った矢先に骨盤を痛めてしまった。のそのそと歩く。不調が絶えない。

江國香織「なつのかおリ」を読み終えた。長く眠ったときの、不可解なのになぜか受け入れるほかない、心地のよい夢のようなそんな読書時間だった。
最近は分厚い文庫本を持っていないと落ち着かない。腰が痛い。

 お花見は午後じゅう続き、みんなおそろしくたくさんのバチャランを飲む。夕方にはほとんど立てなくなっているほどだ。それで、その日は食事もせずに、それぞれの部屋に引き上げて眠りこむのが常だった。
 春の日、私たちがまだ家族みたいだった頃。

教室のうしろのほうで、穏やかな教授の声を聞いて窓辺をながめていたとき、きゅうに春とも夏ともつかない季節の風を感じた。そらの色は淡くて、時鳥の声はくっきりとよく響いている。青春時代と呼べるものが私にもあるのだとしたら、それは街へ移り住んだ14歳からの数年間のことだと思う。光の中に群れあって、水晶のような汗を流して、右も左もわからずにただ人を信じていた日々。

身体の中心から、今までずっと忘れていた血の巡りを感じて、涙がこみ上げてきて、あわてて友だちや母親に連絡する。中学の頃に使っていた部活シューズ、ラケット、ウェア。偶然すきな子に鉢合わせる放課後だったり、外周ランニングであこがれる人が先をゆくまぶしさだったり、大会の日の朝の涼しさだったり、お昼休みの眠たさだったり。
あの頃はお酒もギターもひとを呼べるような部屋もなかったのに、毎日、自分のことや周囲の人たちのことがとにかくすきで、毎日ぐっすり眠って、素直に目を覚ましていた。親以外の年上のひとびとを、憧憬とも恋心とも信頼とも言いきれない気持ちでまっすぐ見つめていた。

市民体育館に行きたいと思った。
さらさらとした運動着を身にまとうときの高揚感や、体育館に反響するシューズの靴底の音や、素肌が床に触れたときのひんやりとした感触。いまさらそんなものを手繰り寄せても私の現状は変わらないのに、あの頃に近い空間で、うっとりとしていたくて堪らなかった。あの頃すきだった自分やあの子の面影。今になって、燃えるように生きた日々がこんなにも恋しくなるなんて、私はやっぱりどうかしている。

トッポを買って一息に食べた。気分も体調もよくないけれど、うわの空でみずみずしい日々に浸っているじかんは、避暑地のように風通しがよくてきもちいい。



日曜日

バターチキンカレー

先週仕込んで冷凍してあったバターチキンカレーをレンジで温めた。
こんなに、気狂ったようなあかるいオレンジ色をしているのに、あまくてやさしい味をしているなんて、バターチキンカレーは何だかとても特異なものに思える。ひといきに食べてしまうつもりだったのに、名残惜しくてまたすこしだけ残してしまう。カシューナッツペーストを使っているからなのか、ごはん一膳分ぐらいの量でも乱暴な満腹感をおぼえる。

じぶんの壊れかけている部分を誰かに見せたくなくて(やさしいひとたちばかりなので)、ずっとここにひとりいる。さびしい、こころの中ではつい先週まで会っていたひとたちに「あのね、」って話しかけたり、泣きついたりして、ワインを飲んで、夢をみる。夕べの夢では犬を2匹迎えいれて、散歩という日課が増えるねって家族と話していた気がする。父がとつぜん、足先がしびれると言って慌てたところで目が覚めた。なにもなくて、どうしようもない雨の日、午前5時ごろに起きてしまうことは、切ないけれど甘やかな心地になる。

たまらなく泣きたくなって、ご飯なんて食べたくなくて、お酒も飲みたくないのに、なにもかもきのうと一昨日とおなじように過ぎてしまう。なんとなく予感がする。いじけているのもあと数日だろう、あと数日したらいよいよじぶんの湿っぽさにも飽きて、誰かに連絡するだろう。

ひとりの殻に閉じこもっているときほど、ひとりではできないとてもよいことを思い付いてしまう。また雨が降ったら、がっこうにおいでよ、ラウンジや、最上階の教室でトランプをしよう。早く友だちに言いたい。

Sadurnのfaceⅱと、haruka nakamuraさんの音楽のある風景と、Talking HeadsのThis Must Be The Place わたしのなかのおおきな感情を、わたしより鮮明に覚えていてくれる曲だとおもっている。サブスクリプションでランダムに音楽をかけていたらこの3曲が連続で流れてきて泣いてしまった。

とてとて 11

三日間がっこうへいって、四日間引き篭もる。そんな暮らしでいいはずがないのだけれど、そうするしかなくてまた日曜日になる。本をずっと読んでいる。もうすぐ来月の発表に向けた準備をしないといけない。

雨予報を待っているのに、けっきょく雨雲は午後にならないとやってこないみたいだ。ヘッドホンで雷雨の音を聴いて、体育座りになる。夕べはすこし気張って、親への返信もしたし赤ワインも飲んだ。お風呂であいかわらず雨の音を流しつつ文庫本を読んでいたら、腐っていてはいけないと思い立って、日記にこれからのことを書いた。うごき出せるとおもったけれど、今朝起きたらまたおなじ。かなしくて煩わしくて、誰にも会いたくない、なにもしたくない。

部屋から出るつもりもないのに香水をつけた。バニラとミントの香りがくだらない所作ひとつひとつにも薫って、なさけない。

ムクさんは落下するように泳ぐ。毎日お水をかえているけれど、やっぱり元気がなさそうだ。どうしてあげたらよいのだろう。
腰がいたい、今日は雨が本降りになってからモモ肉を買いにいきたい。唐揚げを食べたら元気になれるかな、夜は今泉力哉監督の情熱大陸だからがんばって起きていたい。

土曜日

とてとて 10

「パーマネント野ばら」を観る。
母のすきな映画のひとつで、なんとなくの温かい空気感だけを予感しつつ鑑賞した。おもっていたよりも陰があってひんやりとした作品だったけれど、痛いくらいに誰かを愛する女性たちの姿が心に残る。エンドロールをとおくで聞きながら、ベランダに出て、あとからあとから涙がでてきて。また世界にひとりっきりみたいな朝だった。ベランダでハンモックチェアに揺られていると、いとも簡単にこころの中の日常を切り落としてしまう。

雨の気配を感じるたび、パーカーのフードをかぶってベランダへ出る。柵に打ち付けられてこちらへ跳ねてくる雨の飛沫を、うれしくなって浴びる。死にたくなりながらいきいきしていてふしぎだ。

「パーマネント野ばら」で菅野美穂がすきな人と温泉に行く約束をして、いそいそとひとり先に向かうシーンがある。鈍行列車のボックスシートにひとりで座る。窓辺は日のひかりに溢れている。その光景を見て、鈍行列車で日向を見つめながらすきな子に会いに行ったいくつかの日のことを思い出した。

すきなひと。もうすきでいるのに疲れたひと。日々はかなしいほど彼へのあこがれだけでできていた。かんぜんに切りはなせる感情など人生にひとつだってないのだということを、このところ思い知る。

「過去」は、命日のようにわかりやすい決定的な終点もなくいつの間にか「過去」になる。今あの子をもうすきではなくても、誰か他にすきなひとができても、あの子をすきになった気持ちはきっといつまでもかわらないのだろう。その事実はこの先どう転んでも切ないことで、ナイフでえぐられた痕みたいに、赤々と、じっとしていつまでも心に迫ってくるだろう。それでも、暮らしという風の吹く場所で、あの子をすきだという気持ちは確かに私のせかいの中心を離れていった。音もなく。幸福な結末であったかのように穏やかに。

今でもひどく怯える日にはあの子だけを思い出して手紙を書きたくなってしまう。きみはぼくのことだけ考えたりしない、ぼくが落ち込んでいても気がつかない、だから、きみだけが助けてほしいよ、きみだけが大丈夫といってほしいよ。こんな気持ちって、変かな

彼はあまりにもとおいひとだった。流れ星のようで、となりに座っていても、すぐこの世界から身を引いてしまいそうなひとだった。

すこしまえに、すきだった子の話を聴いてくれた友だちがいた。彼がいつも苺を買って待っていてくれたことを話したら、なんだか泣きそうだ って友だちは言ってくれて、そのことに私はずいぶん救われたのだとおもう。

木曜日

とてとて 9

朝からぼんやりしている 洗濯物を干して、部屋をすこし片付けたくらい。
明日は金曜日なので雨が降るかもしれない、すこし街に出て済ませてしまいたい用事がある。

佐々木倫子さんの「動物のお医者さん」という漫画、両親が買ってくれてちいさい頃からすきだった。この前BRUTUSのバックナンバーを読んでいたらその漫画の一コマが紹介されていて、懐かしくなった。今年の1月から毎月、新装版が1巻ずつ発売されている。もうすこしお金に余裕ができたら買いそろえたい。

実家の猫が体調を崩した。母から送られてきた動画の中で、かのじょは点滴を打たれながらちいさくなっている。いつか愛猫の死に目に遭うということ(もしかしたら遭うことすらできないのかもしれない)。世界のじかんがとまってしまえばよい。さいきん、SFみたいなことばっかり考える。
いつか、だいすきだった猫が死んでしまったとき、そばにいてほしいと思うひとがひとりだけいる。それは、ふつうなら人生で最優先されるような恋人とか兄弟とか親友とかいうわかりやすいひとではない。そういう誰かをとくべつと言うのかもしれない。猫の死んでしまったかなしみを隣で見ていてほしいひと。

誤魔化すようにお茶を入れる。差し入れでもらったクッキー缶を開けたり閉じたりする
かもめ食堂をまた観ている これで今年に入って6回目だ。
かもめ食堂のかもめのイラストは牧野伊三夫さんが描いたものらしい。やさしいひと、やわらかいひとを今日もひとりで想っている。

無限にかなしくなれてしまうよ 全部いやだ、ひさしぶりに家族からの着信にも応えられずにいる、連絡もかえせない、そっとしておいてほしい、だけど、世界のこと、世界に生きる命のこと こんなにも大切におもっている。

水曜日

とてとて 8

いつもの授業、吐き気と目眩。この空間がほんとうに苦手。

校舎の最上階、窓のある階段を降りるときにずっと向こうで海がひかってる。この学校からだって海が見えるんだ。やけに今日は緑がきれい。

講義を終えて、心から血が出るような思いで、吐き気とのどのつっかりを気にしながら歩く。すきな語りかたも苦手な語りかたも無造作に行き交うから、大学というあらゆる場で耳が耐えられないのだと思う。そんなにぎゅうぎゅう言葉を詰めたってなにも伝わらないのに、なんて思いながら議論の傍観者でいる。どうして学生なんてしているのだろう、ここでは人と本の読み方について強靭に語り合って目を輝かせることが絶対的によいことみたいでくるしい。

多分、ムクさんがまた病気になった。尾鰭に白い雪の塊のようなものをつけて泳いでいる。水槽に戻ってきてまだ1週間も立っていないのにね かわいそうだけれど、また塩浴に戻る 入退院を繰り返す子どもみたいでほんとうに不憫だ、わたしがしっかりしなければならないのに。

くるしい 誰か、って言いたいけれど、誰かがきてくれたところで根本的には解決しない。

プールに行きたい。うちからプールはあまりに遠いし、水着もないから、以前節水用に買ったビニールプールをベランダに運んでみようか ひとりきりの部屋でプールの後の気だるさに身を任せて、麦茶を飲んで眠りたい、なにもかもが敵だ、どこもかしこも戦場だ。

火曜日

とてとて 8

なんだかわからないけれど過食気味だ。
雨の日の焼きそば 夕暮れには吐き気
今日は朝からずっと雨が降っていて、学校は2限しか受けられなかった。すきな喫茶店が一年ぶりに開店したのだけれど、こころがあのお店にいくことを拒んでいた。

家に帰ってきて、雨の音を聞きながらベランダで本を読む。おいしくないビールを飲む。今日は飲まなくていいって体が言っているのにやけになって飲んでしまう。明日からはやめる。

じぶんのすきな人とすきな人を会わせるとき、そのふたりが仲睦まじそうにしているのを見ると途端にじぶんだけいなくなりたいと思う。わるい感情ではなくて、むしろほっとする。相手の中心に私がいなくても、私はその子のうれしそうな表情を見ていられる。その子のかなしみ、よろこびに無関係でいられることに安心してるなんて、かなしいことだ

岸政彦さんの「図書室」を読んでいる。図書室で、男の子と女の子が人類が滅亡して世界でふたりだけになったときぼくらはどうしようって話し合っている。その文体、会話、なんだかじぶんまで世界が終わるときのことを考えてしまう。でもベランダでは車の音や、「また明日」って手を振りあう子どもたちの声、犬の鳴き声が聞こえている。救急車の音は、血のつながりもない人びとが、誰かを助けたいという思いで必死にうごく音。そう思うとさみしくない、こわくない

目を向けようと思えば、死にたいともだちのこと、怒るひとのこと、すきだった子のこと、すぐわかるけれど、今はもうなにとも繋がっていたくない。歩きながら考える。じぶんが音楽をしている人でなかったら、Youtubeをしているひとでなかったら、知り合いの娘でなかったら?だれも私を思い出さないのかもしれない、わたしの内側を知ろうとなんて思わないのかもしれない

傘をさしてスーパーに行く。麦茶とこんにゃく、卵を買う。すきだった子に手紙を書く


月曜日

とてとて 7

かなしい。かなしくて呼吸が浅い。そよ風でもろもろと崩れていくこころ
大学ではいつもどおり、怯えながら無防備な身体を椅子に預けている。退職してから言語の研究をされているという女性とお話をした。やわらかくて誠実な方だと思った。私からは相変わらず、中身のあるようなことばはなにひとつ出てこない

死にたいともだちに寄り添うにはどうしたらいいのか
たとえば自分が、木の幹のように芯の通った人で、お金も時間もなくたってその子のこといちばんに救いたいってほんとうに思えたなら。優劣を越えて自分の意識の内がわへ流れてきたひと全員におなじように歩み寄れたなら

純粋さをどこまで大切にするか 感情の純度にとらわれてなにもできないことと、妥協しつつ諦めつつ時に利口的であったり同情的であったとしても壊れるまで人のためにうごくこと どちらもまちがっているような気がする。私はというと、ひとつずつうごくこと、ひとつずつ歩み寄ることの大義さや不確かさに面くらって、じぶんが乱されることを恐れて、なにもできずにのうのうと生きていて、話にもならない

とてとて 6

体調を崩し、精神もこわしてから、実家のとなり町で安く供給されている海洋深層水というものを両親が送ってくれた。ミネラル豊富で、さまざまな不調によく効くらしい。届いてから毎朝飲んでいるのだけれど、そもそも大容量の酒パックに入れられていたのでなんだかお酒くさくて、だいじょうぶなのかなと思わなくもない。朝から酒気を帯びているような気もするからだで、自分なりに真剣に生きている

摂取活動はなかば信仰の問題なのだろうと思う、すがるように、祈りながら、泣きながら、よくなってくださいって念じて食卓に向き合う。おばあちゃんとおじいちゃんのお祈り姿がこころに浮かぶ

ゆうべ、お風呂にお湯をためながらヨーヨーをつくった。ヨーヨーは水風船とちがい風船内の空気と水のバランスが肝心であることを学んでわくわくした。口の閉じかたにも工夫があって、左手で口を押さえつつ右手でゴムをすばやく括りつける仕草は自分でやっていてもうっとりする。ヨーヨー屋さんになりたい

おととい、おばあちゃんから詩集といちご、夏みかんが届いた。おじいちゃんからは庭の花々を束ねた花束が添えられていた。バラやパンジー、マーガレット、それからむらさきの金魚みたいなお花はなんだろう。庭で摘んだ花を束ねて贈る。おじいちゃんにとってはあたりまえなのかもしれないけれど、私にはそのことがずっと特別に思える。厚みのある花束をすっぽり受け入れてしまえる花瓶が必要になったのは、その日がはじめてだった。夢の中で、今暮らしているマンションの玄関口にとりどりの花が咲き誇っているのをみた。青いとりのような名もない花がきれいだった

木曜日

とてとて 5

朝からホットケーキを焼いていた。テレビでEテレを流していて、やけに鶯のきれいな声が聞こえてくるなあと思って野鳥の番組だろうと目をやったら政治の話をしていた。鶯が鳴いているのはテレビの中ではなく現実の窓の外だった

ホットケーキは全然ふくらまなくて、表面はかりかりで、なんだかちがう食べ物みたいになってしまった。温度がよくなかったのだろう
脳が五つくらいあれば、 三島由紀夫も江國香織もいしいしんじもカフカも孔子も一気に読めるんだろうとか思う日もあるけれど、一つしかない脳でも本すら読めないほど不安に怯えてぐるぐる考えてしまうのだ 脳がいくつあったってなにも豊かにはならない気がする

信じた人のことばをずっと追っていたい。たくさん本を読んで安らかでいられる人は、それだけことばに対して自己を預ける柔らかさ・おおらかさ・深さに長けている と言ってもいいのかもしれない。私は、朝日が眩しくて目が痛くなるみたいにことばに対して受け止めきれなくなることが多いから、騙しだまし本と暮らしている。紅茶を飲んで、いい椅子に体育座りして、そっと1ページ読んだら、ベランダで空気を吸う。

手の届く距離に信じられることばを持つ人がいてよかった。信じられることばを持つ人が自分のために書いてくれた手紙を何度も読みかえす。私もそろそろ手紙が書けたらな

水曜日

とてとて 4

寝ても覚めても、誰と居ても居なくても、ずんと心が重たい。石化している。やさしくなれない

今朝もムクさんを見ていた。尾鰭が細菌のせいでギザギザに切り刻まれていてかわいそう、くらいバスルームの片隅にエアレーションのモーター音が響く。見た目こそ痛々しいけれどまだ持ち堪えている。今朝も、しずかに愛らしく泳ぐ姿を見せてくれた

学校にやってきて、講義棟のエレベーターが点検中で、最上階まで階段を登った。汗ばんで鼓動がはやくなって、こんなに澱んだ心持ちでもきちんと脈を打つ自分の身体ってふしぎだ。
お昼は久しぶりに学食でカレーを食べたけれど、自分の作るごはんと同様にあまり味がしなかった。空腹を満たすだけの、感動のない摂食活動

星野道夫さんの写したホッキョクグマの写真、どれもやさしく美しく、泣きたくなってくる。
まだお腹がいたい、帰りもきっとビールだ
きょうもかなしい日

金曜日

とてとて 3

無意識に、歯をものすごく食いしばっていた。今日はほんとうによくない、よくないよくない、ああこんな時間だと思って時計を見てもまだ思っていた時間より90分も前だったりする。悲しいわけでも苦しいわけでもない、心持ちひとつで青魚も切り刻んでしまえるような、とにかく危うい状況にいる。
夜、寝支度を終わらせて外に出た。呼吸と変わらないような外気のぬるさ。でもまだかろうじて風があり、きもちよく深呼吸をする。街灯の光から隠れるように、知らない住宅のボイラー脇にしゃがみ込む。夜があってよかった ときどき、奥の方から滲んでくるように泣いた。夜が私の涙を搾りとる。一昨年出逢った猫はもういない。まだまだすなおに歩いてゆけそうだったけれど、家の前をしばらく往復してすぐに戻ってきた。今日はお酒を呑みすぎた。

水曜日

とてとて 2

 今日もゆっくりと雨が降る。朝起きて、土鍋でお米を炊いて、納豆といっしょに食べて支度をする。花が家にない。金魚のムクさんはまだ左の胸鰭を閉じている。いたいね 私も、左の胸がいたいよ 寄り添う、ムクさんがつらいのは私のせいなのに、それでも寄り添う。

 講義を三つ受けた。現代文学の話はやっぱりほっとする。ぐんぐんはいってくる。国木田独歩「春の鳥」について。白痴の男の子が天主台にまたがって優しい声で歌う、「空の色、日の光、古い城あと、そして少年、まるで絵です。少年は天使です」。彼は鳥の真似をして崖から落ちて死んでしまうのだけれど、私の中に浮かび上がってくるその子のイメージと映画『オーバーフェンス』で鳥の求愛を真似て踊る蒼井優がかさなる。鳥と狂気の同調性、鳥と純白の親和性。

議論の文脈で、エドワード・アビーの『砂の楽園』という作品を知った。

 名づけられた事物よりも、名づける行為のほうに関心が向かうのだ。そして名づける行為の方が、事物よりもリアルになる。かくして、世界はふたたび失われる。いや、世界は残る。……失われるのは、ぼくらのほうだ。

 水曜日は、死ぬことや脳科学のこともいっぺんに学ぶからくらくらする。頬にあたる雨の芯がしっかりとしていて安心する。若葉が今日も濡れていて、この頃の欅はほんとうにきれいだと何度でも思う。

火曜日

とてとて 1

今日も今日とてお酒を呑みながら夕暮れどきをぼうと過ごしている。
手元にいくつも日記があって、紙に書いたり頭で綴ったりブログに書いたりとその日の気分であちこち書き散らしてしまうのだけれど、たとえばすべての場所でおなじ日の日記を何度も書いたらどうなるだろう。その日の思い出しかたが増えておもしろいかもしれない。複面体になった過去は、ふたたび光を浴びたときに乱反射してきれいかもしれない。

今日は街中が濡れていた。地面から空のさきまでずっと濡れて、自分が水槽のメダカなら空まで泳げたかもしれない。かちかちと重いあたまを抱えながら大学へ向かう。途中、坂から遊歩道を覗き込むと木々がうねうねと生い茂っていた。若葉の、まばゆいこと。その濡れて深まった黄緑のうつくしいこと。すいすい私の横を通り過ぎてゆく人々、こんなにきれいな光景を目の当たりにしてもみんなぐんぐん坂を登っていってしまう。

夕暮れ、帰ってきてすぐジンジャーハイ。ビールが呑みたい。ハイボールは明日まで我慢する。しゃぱしゃぱとお風呂に入り、またアルコール。マリブを炭酸でてきとうに割る。今日はぐるぐるする。また大したこともできずに空が暗くなる。ほんとうは考えていたのだ、ホッキョクグマのこと、まわる風車のこと、鳶のモビールのこと。
せつない、体が冷えないよう慎重に夜を過ごす。

とてとて28

ゆうべ友だちと話していて、「なんだかすごく覚えてる」もひとつの感情なのかなと思った。 彼女たちは記憶と感情がいつも明確に整理されているというか、感情のつまみを引いて記憶を取り出すような話しかたをしていたのだけれど、私は思い出したなにかがうれしかったとか悲しかったとかではなくて、た...

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