月曜日

とてとて 7

かなしい。かなしくて呼吸が浅い。そよ風でもろもろと崩れていくこころ
大学ではいつもどおり、怯えながら無防備な身体を椅子に預けている。退職してから言語の研究をされているという女性とお話をした。やわらかくて誠実な方だと思った。私からは相変わらず、中身のあるようなことばはなにひとつ出てこない

死にたいともだちに寄り添うにはどうしたらいいのか
たとえば自分が、木の幹のように芯の通った人で、お金も時間もなくたってその子のこといちばんに救いたいってほんとうに思えたなら。優劣を越えて自分の意識の内がわへ流れてきたひと全員におなじように歩み寄れたなら

純粋さをどこまで大切にするか 感情の純度にとらわれてなにもできないことと、妥協しつつ諦めつつ時に利口的であったり同情的であったとしても壊れるまで人のためにうごくこと どちらもまちがっているような気がする。私はというと、ひとつずつうごくこと、ひとつずつ歩み寄ることの大義さや不確かさに面くらって、じぶんが乱されることを恐れて、なにもできずにのうのうと生きていて、話にもならない

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とてとて28

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