ゆうべ眠るのがおそかったのもあるけれど、今朝はずいぶんゆっくりと眠れた。気がついたら11時だった。毛布の内側だけはかんぺきに暖かくて、頬にふれる空気と鼻から吸う空気から部屋はきんと冷えていることがわかって、カーテンの隙間からよわく光が漏れだしていて、とてもしずかで、もうそれは私のよく知っている北国の冬の朝だった。なんだかたまらない思いになった、泣きたいような、なつかしいような、うれしいような、さびしいような。隣の部屋(ワンルームの我が家に隣の部屋なんてないのだけれど)へ続く引き戸をひらいたら、木の子をきれいに並べたりお湯を沸かしたり大貫妙子のCDを流したりしている母親の背中が見えて(その部屋は薪ストーブの炎でじゅうぶんにあたたかい)、チャパティとチャイでおそめの朝食をとる弟が居る。父はもう畑仕事に出ていて、猫たちはめいめいに床で溶けている。私がまだいたいけな少女だったころの日曜日のあさ。パーマもお酒も血の色差も、ひとり暮らしの冷蔵庫の匂いも知らなかったころの冬のあさ。
ムクさんがぼうっとしていると私まで際限なくぼうっとしてしまいそうになる。カーテンをあけて、ムクさんの水槽にも光がはいるようにする。ハッとしてこちらへパタパタと顔を向けてくれるかわいいムクさん、私のかけがえのないかぞく。
きのうは友だちと編み物をしてラーメンを食べた、このところずっとご飯が美味しく食べられなくてつらかったけれど、友だちと並んで食べるラーメンはおいしかった。お互いの気まぐれがたまたまあっているだけの幼ない親しさではない。転び先をまちがえたら砂のように崩れてしまうような血の気のおおい親しさではない。ほんとうにひたひたと、見慣れたかおで居てくれることがどれだけうれしいかを思わされるような、冬の日の陽なたにあたたまる窓辺の椅子のような友だち。別れるとき勝手に、こんなうれしさを忘れないでいたいねと思っている。きみが今の苦しさをぜったい覚えていようと呟いた夏の夜から、もうずいぶん時もながれた
心臓が肥大しているようにくるしくて今日もほとんど部屋を出られなかったのに、やらないといけないことはどれもけなげで明朗なことばかりなのが可笑しい。あまり考えすぎないようにする。気を抜くと泣いてしまうから、眠りにつくまでは心にちからをいれて、あまりへんなことしないようにして。元気そうにも元気なさそうにも思えるような声ではなして、ときどき笑う拍子にプツって引きちぎれそうになって、そういうときたまらなくさみしい。ほんとうはおおきな熊のようなだれかに抱きしめていてほしい。
夜ようやく部屋を出てアイスとビールを買った。コンビニまで歩いていていろんなこと思い出したよ、酩酊で星を見あげながら夜中の横断歩道を踊ったりしてた、世界のことなんにも考えないでキスをして傷つけあったりしてた、声の出ないしずかさをおおきな音楽で埋め尽くしたりしてた、泣きながら手紙を書いたりしてたね。私もどんどん落ち着いてゆく、今よりずっとよわいおとなになってゆくのだろう
0 件のコメント:
コメントを投稿