めまぐるしい1週間だった。
かろうじて気のもちようと片づけられていた寒気は火曜日から急激につよくなって、目を覚ますごと、立ちあがるごとに具合がわるくなっていくようだった。私は健康でない状態のすべてを(インフルエンザでも流行性耳下腺炎でもコロナウイルスでも)漠然と感冒だ、で片づけてしまうひとなので、やはりたいして病院に行く意欲もなく即効性のあるお薬でどうにかしたいとも思わず、ひたすらうなされながら食べて眠るという体育会系な態度で細菌とたたかうしかなかった。
かなりひどい状況だったのだけれど、どうしても集中講義とバイトから逃れられず、やけになってがつがつとやり過ごした。街のぜんぶけたたましくて、通りの全員のっぺりとおなじ顔をしていて、色と温度を保っていたのはそばにいてくれた友だちだけのように思えた。ほんとうにめまぐるしい日々だった。クリスマスも年の瀬の空気も嘘みたいだった。
おととい最後の授業を終えてやっと布団に全身を預けられ、ひとしきり眠って、今日ようやく熱が下がった。ここまで肉体的にも精神的にも辛かったのはいつぶりだろう、今年は打ちひしがれるような思いが抜けなくて、一年ごとずっとつらかったみたいな振り返りかたしかできない。
安心して眠れた日も、不安なまま眠るしかなかった日も、みやこのことを思っていた。どんな朝もおなじように、カーテンから漏れる橙の朝日にみやこの模様を思いだして、写真を見かえして、会えない日を丁寧に臆病に重ねている。咳き込んだり、からだが痛んだり、空腹で全身が燃え震えるようなとき、ああ、晩年のみやこもこんな思いしてたのかな、と考えるとよけい苦しくて、でも今となってはその苦しさだけが私とみやこをつなぐ最後の感覚でもあるから、名残惜しくて、ずっと縋っていたいような気もしていた。
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預けっぱなしの心は、ほんとうにずっとそこに残りつづけるのだろうか。
ゲームの中のアイテムみたいに、その世界を支配する道理によってそっと私の元へ戻ってきてしまったりしないだろうか。それに気づかず、いつの間にかまた完全な心を抱えて、思っているより勇ましく血の気おおく歩いてしまわないだろうか。
取りかえしようもなく傷ついていることは、だれかを今につなぎ留めるための華奢なアンカーのようだと思う。傷をなでているあいだは手段を失っても尚あなたに心をさらしていられる。悩む猶予のある仲らいも、時をえらばない生死のもんだいも、ひとしくなめらかな絶望に収斂するのならせめて私たちらしく傷ついていたい。私たちのなかの大人の手が、あるいはもっと大きな神さまの手が、私たちをぐいぐいと対岸へ引き連れていってしまう前に。
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まだ咳が治らなくて思うように生活できない。
ひどい風邪でもひかないと、このひと月のことは乗り越えてゆけなかったかもしれない。
寝苦しい夢とあいまいに混ざり合ってようやく、めちゃくちゃだった私たちも磨りガラス越しのきれいな過去になれる。きっとゆっくり、いつ思い出してもへいきな私たちになれる。
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