夜になると毎日おなじように心臓の音がおおきくなり、動悸で寝付けなくなる。からだはひどく疲れているのに。
なにをどんなふうに食べていたかも思い出せない、無心でみかんばかり口に詰め込む。
流しが汚い、花が乾いている、洗濯物が畳めない。
いろんな約束を先延ばしにしてしまっている、手紙も、書くね書くねといいながら誰にも書けていない。心の中ではたくさん話しかけていて、会いたいなどうしているかなと思っている人にも、じぶんからはなにひとつ接触できない。
キセルやキリンジ、折坂悠太、中村佳穂、haruka nakamura、だいすきな人たちの歌をたくさん聴いて、声でなぞっているあいだはこれからもきっと、と思えるのだけれど、曲が終わってしまってひとり、自分だけの感情を抱えた私が取り残されてしまうと、やっぱり私にはなにもできなくて。彼や彼女らのようにかなしみも眩しく、柔らかく、表現できる人たちがいるのなら私はいらない、私はなにもしなくていい。でもなにかをしていないと、絶えず表現していないと気がおかしくなりそうで、でも表現したところで虚しくて、そのくりかえし。ずっとぐらぐらしている。
母が今日も気にかけて連絡をくれた。まわりの人びとがやさしくて、それさえ胸を締め付ける。
だれかきて、だれかたすけて、だれかきいて
誰も来るな、誰も触るな、誰にも分かるものか…
今はただあこがれをなるべくありのまま、心の中の箱にしまう。
蝶の標本に触れるみたいに慎重に、息を止めて、慎重に、顔がくしゃくしゃになって、腰が引けて、とてもおそろしいものに触れるみたいに慎重に、あこがれを、ずっと向こうにあるあこがれを、生いゆくじぶんと流れつづける世界をどうにか信じて、心の中の箱にだいじに仕舞う。
仕舞えたら、あとはすみやかに蓋を閉めて、なるべく直視しないことだ。
あこがれはその間接的な記憶と温度でたしかめているのがいい、なるべく直視せず、心の温まるに連れてゆっくりふくらんで自然に箱から出てくるまで、ただしずかに抱えておくことだ。
今日もたくさん祈りながら眠る。
もし生まれ変わるなら、どんなにはげしい競争をしても戦争だけはしない生き物に生まれたい。どんなに紅い血を飲むような生態をもっても、戦争だけはしない生き物に
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