火曜日

-

じぶんの幼い頃からおおきな存在だっただれかをすこしずつ失う歳になってしまったんだ。だれだっていつか身体を脱いでこの世界からはなれるのだということはもう擦り切れるほど自分でも考えてきたけれど、痛ましいとか、かなしいとかそういうくっきりとした感情でなくて、耳が金属のような音を立てるほど寒い日に急に暖かい部屋へ入ったときのような、プール授業のあとに廊下を歩いているときのような、全身の力がするすると溢れて、かくん と倒れてしてしまうような、そんな感触。

去年の春、はじめて出会った友だちの家から帰った日に、友だちのすきだった音楽家が亡くなった。あのときのきみもこんなきもちだったのだろうか。よわってしまってなにを言うにも曖昧なのだけれど、すきなだれかが姿を変えたことに取り残されてしまったようなきもちになって、心細くいるのだということを、身近なひとに知っていて欲しかったのかもしれない。

数日経った夜に、その子は珍しくぶわっと息せき切ったように連絡をしてきて、私は言いたくもないようなことばかりで相槌をうっていた記憶がある。あのとき、今のこんな思いできみの手をとってあげられたらよかったのに

ふだんはことば数おおく話せないひとにたくさん、たくさん思っていることを話したい。ベランダの先の眺めにひとり言つようにつらつらと きっと話せないのだろうけれど

谷川さんの詩集をあるだけ本棚から取り出してぽつりぽつりと読んでいる。今日は一段とさむくて日が暮れるのも早く感じる。

0 件のコメント:

とてとて28

ゆうべ友だちと話していて、「なんだかすごく覚えてる」もひとつの感情なのかなと思った。 彼女たちは記憶と感情がいつも明確に整理されているというか、感情のつまみを引いて記憶を取り出すような話しかたをしていたのだけれど、私は思い出したなにかがうれしかったとか悲しかったとかではなくて、た...

ブログランキング・にほんブログ村へ