なんだかわからないけれど過食気味だ。
雨の日の焼きそば 夕暮れには吐き気
今日は朝からずっと雨が降っていて、学校は2限しか受けられなかった。すきな喫茶店が一年ぶりに開店したのだけれど、こころがあのお店にいくことを拒んでいた。
家に帰ってきて、雨の音を聞きながらベランダで本を読む。おいしくないビールを飲む。今日は飲まなくていいって体が言っているのにやけになって飲んでしまう。明日からはやめる。
じぶんのすきな人とすきな人を会わせるとき、そのふたりが仲睦まじそうにしているのを見ると途端にじぶんだけいなくなりたいと思う。わるい感情ではなくて、むしろほっとする。相手の中心に私がいなくても、私はその子のうれしそうな表情を見ていられる。その子のかなしみ、よろこびに無関係でいられることに安心してるなんて、かなしいことだ
岸政彦さんの「図書室」を読んでいる。図書室で、男の子と女の子が人類が滅亡して世界でふたりだけになったときぼくらはどうしようって話し合っている。その文体、会話、なんだかじぶんまで世界が終わるときのことを考えてしまう。でもベランダでは車の音や、「また明日」って手を振りあう子どもたちの声、犬の鳴き声が聞こえている。救急車の音は、血のつながりもない人びとが、誰かを助けたいという思いで必死にうごく音。そう思うとさみしくない、こわくない
目を向けようと思えば、死にたいともだちのこと、怒るひとのこと、すきだった子のこと、すぐわかるけれど、今はもうなにとも繋がっていたくない。歩きながら考える。じぶんが音楽をしている人でなかったら、Youtubeをしているひとでなかったら、知り合いの娘でなかったら?だれも私を思い出さないのかもしれない、わたしの内側を知ろうとなんて思わないのかもしれない
傘をさしてスーパーに行く。麦茶とこんにゃく、卵を買う。すきだった子に手紙を書く
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