月曜日

とてとて28

ゆうべ友だちと話していて、「なんだかすごく覚えてる」もひとつの感情なのかなと思った。
彼女たちは記憶と感情がいつも明確に整理されているというか、感情のつまみを引いて記憶を取り出すような話しかたをしていたのだけれど、私は思い出したなにかがうれしかったとか悲しかったとかではなくて、ただひたすらつよく覚えていると感じることが多いのでいつも話がおちない。昔はそういうこともこわかったな

体調がわるくて、寒気がする。こころぼそい
ぎすぎすしてつよい記憶にあたまがぐるぐるする。

私が寝込んでいるとき、彼はなんでもしてあげるようと言いながらベッドの脇で手あそびをしていた。夕方に目覚めて、胃が空っぽで、なにか食べたいな、おなか空いたな、と言ったら彼はうんと答えた。なんとなく間延びしてきみはおなか空いている?と尋ねたら、まだそんなにかな、と返ってきて、彼はやんわりそのあともくつろいでいた。
そばにいてくれるあたたかさと、私ときみが反対の立場なら眠っている間におじやでもなんでもつくっているよ、というさみしさで、くるしくなった。
こわれゆく身体で涙目になりながら起き上がり、じぶんで釜を出してつくれるところまでご飯をつくった記憶がある。温かいものを食べたら、それまで上がる一方だった熱がすとんと下がった。ひとりの方がぜんぜん楽だったな、と思ってしまった。

でも彼のそういう無垢すぎるところを、きちんとつらい、私ならしないと言い切れるから、ずっといっしょにいられると思ったのだろう。
つらさ、あり得なさを見つけられないと、ただひたすらすきになるばかりで、こんな棘だらけのたましいでなんてとても近づけない。
いちばん近しい人に対して、私はよりいっそう残酷だ。

*

Eさんとのライブが無事に終わって、脱力とともに、かろうじて保てていた健全さがいっきに剥がれ落ちた気がする。皮膚の上で乾いた泥みたいに。
Eさんが、もうパパはここにいなくて、とこぼしたとき、会場から「いるよ、いるよ」という反応がかえってきて、そのとき私はそのやさしさをきちんと受け取った上で、「いないんだよ」と心に思った。いないことを含めてえみりさんの中にはずっといて、だから〈ここ〉にはどうしてもいないのだ、と勝手なことを思っていた。
Eさんの示した「いない」ということ、「いない」からこそEさんが生みだせた空気のうねりのようなものを、私のからだがなるべく長く覚えていられるといい。

音を添えるのはむずかしい。やっぱりむずかしかった。もっともっと自然な音が鳴るはずなのだけれど、私にはあれがせいいっぱいだった。けれど、Eさんが、私に初めて見せてくれたときよりもっと色濃くうつくしく踊り泣いていて、Eさんを思う人たちに見届けてもらえて、きっとそれ以上のことなんてなかったから、あの日はあの日のままでよかったのだろう。
たまらなく光栄で、私自身もずいぶん救われた日だった。

*

きょう、大学からかえるとき、喉はおもたく手足も凍え、心細くて頭が重くて、雪がしきりに舞っていて、死の香りが鼻の奥までしっかりしていた。心臓が怯えた金魚のようにこわばっていた。雪の降る日はどうしてこんなにしずかなのだろう。空をまっすぐみあげていると、記憶の、愛着の、後悔の、あこがれのすべてがぐちゃぐちゃにされて、なかったことみたいに透明になってすごいね。

じゅうぶんには会えなくて、大きな声で話せないくらいがいいのかもしれない。私ときみはそれくらい頼りないほうがいいのかもしれない。めぐりのために、ゆくさきの心のために。

*

いつまでも売れ残ってくれていると思っていた折坂悠太のユリイカが見当たらなかった。

とてとて27

心のさまは日常のいくつもの断面とかさなる。
不安になるくらい静かな鼓動が、なにかの拍子に怖いくらいうるさくなること。
明かりをつけても手をかざしても熟睡したままの金魚が、ふと眼をはなした隙になんでもないような顔でわたわたと泳いでいること。
ベランダのひなたで本を読んでいて、うたた寝から覚めた頃にはすっかり翳って手足が冷えていること。
さっきまで程よく煮えていた野菜が、次の瞬間につよい匂いを放って焦げ出すこと。
思い出したときにはもう花が枯れていること。
空き缶回収車が過ぎ去っていること。

あんなに生きていけると思っていたのに、あれ、あれ、と些細なつっかえを気にしているうちに手の施しようがなくなっている。日常のぜつぼうに決定的な間違いなんて見つけられない。だからただしく編み直すのにひどく時間がかかる。

お酒はのまなくてもまだ平気だ、眠りの質もよいし無茶苦茶なこともしていない。
でも、まともな頭で向き合う生活はすごく長い。泣きたくても勢いがないから泣けないし、ぐずぐずうずくまっているばかりだ。

おととい、きのうと友だちにたくさんの話をした。友だちの話もたくさん聞いた。カラオケに行って片想いをみんなで歌った。帰りは大粒の雨が降っていた。
今日までの一週間に、わたしはいろんな顔をしていろんなことを喋った。信じられなかったはずの一週間をきちんと生きて今もここにいて、そういうことがやっぱり明日からも繰り返されるのだと思うと、途方もない心地がする。怖いことばかりではなかったのだから、明日からだってうつむく必要はないのに、ひとりで考え込むとどうもよくない。


すきだったのに想いを断てなかった人がいるというのは、案外しあわせなことなのかもしれない。心を完全なままどこかへ預けたりとり戻したりすると、いつも乾いているか、いつも濡れているか、いつもここにあるか、いつもなんにもないか、みたいなことばかりで、とてもひとりでは面倒を見きれない。心の一部だけはあの子の元でずっと笑っていて、わたしはとり残された'あまり'の方なのだから、ぐしゃぐしゃになってもいいのだ。そう思っているほうがずっといい。

とてとて26

ふしぎな夢を見た。
みやこが冷たくなったあと、金魚に姿を変えて、生死をまきもどすように、花の蕾がひらくように泳ぎ出すのを見届けた。
ことばで説明するとしらじらしく感じられるけれど、私の中ではかけがえのない光景だった。たいせつな存在がからだを持っているということに、いつまでしがみついてしまうのだろう。

年の瀬のライブに向けて、毎週音合わせをしている。
いっしょに出演するEさんが無音で踊る時間を、ぼんやりながめているのがすきだ。
きょう、Eさんはからだを火照らせながらおどり泣いていた。あんなにきれいに涙を流すひとをはじめてみた。今回のお誘いに対しては、まったくいい意味で、なにかをおおきく期待するというようなことがいっさいなかったのだけれど、もう、今日でじゅうぶんだ、と思った。窓から小粒のひかりがいくつも揺れていた。

Eさんを見ていると、Eさんにからだがあってよかった、と思う。そんなEさんの心をすこしでもひきだせるような音を鳴らすために(ときに静寂を生みだすために)、いま私にはまだからだが必要なのだ、とも思う。でもからだが無くても、からだが無いなりにみんな自由にやれているような気がする。すきに夢にあらわれたり、すきにひかりを揺らしたり、すきにもの音を立てたり、ささやいたり。
そんな風に思えたきょうの空気が、22日、来てくれた人たちにも伝わるのならどれだけうれしいだろう。夕べまでの錆のような重たい不安は、おなじ重みでも、もっとしっとりとした祈りに変わった。いまの私にはきちんとはこび届けられるものがある。それをそばで見ていてくれる存在がいる。

時間がたしかに過ぎてゆく。数えきれないほどの〈あの日〉から、一歩ずつ離れてゆく。さびしいのはどんな日でもかわらない、これからもずっとかわらない。なにを失っても、なにを得ても。樹洞のように傷ついた感触をたしかめて、かわらないさびしさに縋りながら、すくわれながら、なつかしい来訪者を待っていよう。いつの日も木のように居られたらいい。

日曜日

とてとて25

みやこがもういないということを考えても考えても、どうしても日常はつづく。
やらないといけないこともたくさんある。ごはんを食べないと内臓がちぢむようだし、座りっぱなしだと胸がつまる。

みやこに会えないことが信じられないままずーっとずうーっとつづいてゆく。
きょうはこごえながら市子さんのライブを見にいった。

市子さんが歌ってくれているあいだは、からだを脱いだわたしのともだちもみんなそばにいるような気がして、もちろんみやこも、まじわらないせかいになにかを嗅ぎつけて、市子さんの足元まで来ているような気がした。涙がとまらなかった。みんな泣いていた。

市子さんが、こんなところまで来てくれる人たちはみんな変な人だと思うけれど、と言っていて、なんだかとてもうれしかった。

市子さんが歌いおわって、冷たい道を歩いて帰ってきた。
家に着いてみやこの写真をみたら、また呆然としてしまって、やっぱりだれかに先立たれる痛みというのはとてもゆっくりとした時間をもっているのだろうと思いなおす。

それでも、市子さんが歌ってくれたあの時間、あの時間だけひたすら溢れるままに泣いて思い思いの世界に浸れていたという記憶が、これからの私にあってよかった。
生きているかぎりはしかたなく、からだを通して、世界をうけとめてゆこうと思う。

木曜日

とてとて24

おとといは一睡もできず、ゆうべもそこまでよい寝つきではなく、今朝はふらふらとバイトに行って、もたもたしてしまった。もうつかれた。あたまが真っ白だ。

みやこがもうもたないだろうということで、明日の日中に新幹線で帰省する。なにを思えばいいだろう、昼間に泣きすぎてもう心もぐったりしてしまっている。

みやこが瞳をとじるまで、胸いっぱいの思いで接してあげられるだろうか。
弱りゆくみやこの姿から目を逸らしてしまわないだろうか、涙をこぼしてしまわないだろうか。

ぼうっと過ごしていたら夜になった。
もう今日もてきとうに終わらせよう。毎日、あしたを、あさってを、つぎの週末をどんなきもちで過ごすのかまったく想像がつかない。思うよりも傷を引きずりながら、思うよりも冷静に生きているじぶんを予感することにうんざりする。

火曜日

とてとて23

みじかい靴下ばかり履いているせいでくるぶしがひどく冷え、一気に体調がわるくなった。なさけない、この身体と何年付き合っているというの、なさけない、なさけない…

今日まで4日間連続で目覚ましを聞き逃して日がのぼるまで眠ってしまっている。寝坊してバイト先に迷惑をかけるくらいならおやすみをもらおうかと思っていたのだけれど、すでに病欠が出ているらしくて申し出ることができなかった。私がどれだけ配慮しても身体が言うことを聞かなかった場合、私の誠意がどうこうなど関係なく職場の人に迷惑がかかり、あーあと思われて、時間どおりにあかりの灯る朝のうつくしい厨房に水を差してしまうのだろう。そんなのいやだ…

きょうは研究室の卒論中間報告会があったのでがんばって家を出た。さいごまでは居られなかったけれどきちんと出席できてよかったと思う。誠実な論考のさなかにいる先輩方の姿を見れてよかったと思う、質疑応答も思っていたより張り詰めてはいなくて、さまざま指摘は飛び交いながらもはねつけるような言葉がひとつもなかった。私も、がんばらなくては。

夕方ひとりでニハチ喫茶に向かう。いつものオーナーさん。彼女のやさしさにもようやく気後れせずいられるようになってきた。毎週でも来られたらほんとうはよいのだけれど。
営業再開してからは16時にお店が閉まってしまうのがすこし物足りなくて、ああ17時までここにいられたらなと思うこともあるけれど、日の短い秋冬にはすこし早いくらいで帰路に着くのがいい気もする。なぜかお店側に(オーナーさんと言うよりかは、その椅子やそのテーブル、その空になったマグカップに)、もうお家に帰ったほうがいいよ、と言われているみたいで、すなおに従うと、ああ今帰るよう促してもらえてよかった、と実感する。ふしぎ、なにがってうまく言えないけれどいつも、これ以上おそかったらおなじかえり道も全部むちゃくちゃになっていただろうと感じる。

ようやくおじいちゃんたちに送る写真をプリントできた。
やろうやろうと思っていながらどうしても出来なかったことごとも、出来てしまうとどうして出来なかったのかほんとうにわからなくなる。きっとこれからもそういうことばかりくりかえすのだろうけれど、今日はひとまず、えらかった。うごけない日々にひとつ星を降らせられて、えらかった。

月曜日

とてとて22

サッポロのウィズビア アンバーエールをひと缶。
淡い紫色のパッケージがきれい。
ホルモンバランスが崩れて無限に眠れてしまう。

今朝はスマホから大雨の音が流れていて、きっと温かい嵐の日なのだと思いながら目が覚めた。外はおだやかに晴れていたけれど、まどろみの中でたしかにつよい雨を感じていた。
腰がずっといたくて、明るいうちにしていたことはほとんど思い出せない。

スーパーでぼんやり食材を眺めているあいだ親と話していて、またみやこの元気がないことを知る。夏に帰ったときすでに痩せ細ってかなり弱ってしまっていて、もう会えないかもといちど覚悟を決めていたから、逆にこんな冬の手前までよくがんばったね、という労りの思いがまっさきに来る。でも電話を切ってから、ほんとうにいよいよ、みやこももう美味しいものをもりもり食べたり、猫草やとんぼや川魚にはしゃいだりできないのかな、とか、あたたかいところへ移ってのどを鳴らすこともできないのかな、とか考えるといたたまれなくて、どんどん頭がみやこでいっぱいになる。みやこ。みやこ。

やがてくる別れに今から動揺する。もう一度会いたいとも思うし、もしどうにもつらくてくるしいのだとしたら、もうがんばらないで、いちばん気の抜けるときに、もうからだを捨てていいよ、さきにきれいなところへ向かっていいよ、とも思う。みやこはずっとずっといい子だったからだいじょうぶだ。からだを捨ててもずっとあたたかいものに守られている。

みやこに会いたい。もう会えるかもわからない。今も燃えているみやこのいのちのあたたかさを最後にもう一度だけたしかめて、一生覚えていられるように、たくさんたくさん見つめてそばにいてあげたい。ぜんぶきっと人間のわがままなのだろうけれど、ぜんぶほんとうに勝手なのだけれど、それでも私はみやこのことがすこしだけわかる気がする。ただとなりに居られたらそれが、きっとみやこにとってのなつかしいある日と重なってくれる気がする。私の持て余している日々すべて、あげられるだけみやこに捧げられたらよいのに。いまごろどうしているだろう

日曜日

とてとて21

ゆうべ眠るのがおそかったのもあるけれど、今朝はずいぶんゆっくりと眠れた。気がついたら11時だった。毛布の内側だけはかんぺきに暖かくて、頬にふれる空気と鼻から吸う空気から部屋はきんと冷えていることがわかって、カーテンの隙間からよわく光が漏れだしていて、とてもしずかで、もうそれは私のよく知っている北国の冬の朝だった。なんだかたまらない思いになった、泣きたいような、なつかしいような、うれしいような、さびしいような。隣の部屋(ワンルームの我が家に隣の部屋なんてないのだけれど)へ続く引き戸をひらいたら、木の子をきれいに並べたりお湯を沸かしたり大貫妙子のCDを流したりしている母親の背中が見えて(その部屋は薪ストーブの炎でじゅうぶんにあたたかい)、チャパティとチャイでおそめの朝食をとる弟が居る。父はもう畑仕事に出ていて、猫たちはめいめいに床で溶けている。私がまだいたいけな少女だったころの日曜日のあさ。パーマもお酒も血の色差も、ひとり暮らしの冷蔵庫の匂いも知らなかったころの冬のあさ。

ムクさんがぼうっとしていると私まで際限なくぼうっとしてしまいそうになる。カーテンをあけて、ムクさんの水槽にも光がはいるようにする。ハッとしてこちらへパタパタと顔を向けてくれるかわいいムクさん、私のかけがえのないかぞく。

きのうは友だちと編み物をしてラーメンを食べた、このところずっとご飯が美味しく食べられなくてつらかったけれど、友だちと並んで食べるラーメンはおいしかった。お互いの気まぐれがたまたまあっているだけの幼ない親しさではない。転び先をまちがえたら砂のように崩れてしまうような血の気のおおい親しさではない。ほんとうにひたひたと、見慣れたかおで居てくれることがどれだけうれしいかを思わされるような、冬の日の陽なたにあたたまる窓辺の椅子のような友だち。別れるとき勝手に、こんなうれしさを忘れないでいたいねと思っている。きみが今の苦しさをぜったい覚えていようと呟いた夏の夜から、もうずいぶん時もながれた

心臓が肥大しているようにくるしくて今日もほとんど部屋を出られなかったのに、やらないといけないことはどれもけなげで明朗なことばかりなのが可笑しい。あまり考えすぎないようにする。気を抜くと泣いてしまうから、眠りにつくまでは心にちからをいれて、あまりへんなことしないようにして。元気そうにも元気なさそうにも思えるような声ではなして、ときどき笑う拍子にプツって引きちぎれそうになって、そういうときたまらなくさみしい。ほんとうはおおきな熊のようなだれかに抱きしめていてほしい。

夜ようやく部屋を出てアイスとビールを買った。コンビニまで歩いていていろんなこと思い出したよ、酩酊で星を見あげながら夜中の横断歩道を踊ったりしてた、世界のことなんにも考えないでキスをして傷つけあったりしてた、声の出ないしずかさをおおきな音楽で埋め尽くしたりしてた、泣きながら手紙を書いたりしてたね。私もどんどん落ち着いてゆく、今よりずっとよわいおとなになってゆくのだろう

金曜日

とてとて20

風邪をひいてしまった。咳がこんこんとまらない。
なにか栄養のあるものを、元気のでるものを食べなくちゃとスーパーに行っても、目に映る何もかも、それが調理されて身体に入ったあとの感覚を想像すると途端に胸がむかむかして、嗚咽のようなものまでして、けっきょくなにも買えない。

私ひとりで私を管理しきれない。むりやりだれかにげんきにしてもらわないと…でもだれに?


さてそこで、私は何をしたらよいか。もうそれは決まっている。誰一人、入ることものぞくことも出来ない場所を創ること。何という美しい仕事だろう。この場所は私にとって楽園とはなり得ない。けれどもそれを創るために、一冊の新しいノートを用意し、抑え切れない私だけを正直に書いて行くことである。もう何か溢れ出てくる気分がする。しかし、そこへ書くことは暫く待たねばならない。書くことは、私にとって、まだ凝結し切らないものまでも引きずり出してしまうから。 -『若き日の山』/ 串田孫一


たいせつな一冊の日記をひらいたとき、ときどき、じぶんの腑や古い皮までもそこに飛び散って染みついているような気がして動けなくなる。治るまえのかさぶたを引っ掻いてしまったときにあらわになる生々しい皮膚の内がわのようにも見えて、なすすべなくいる。

今日したこと  1限の受講、読書、日光浴
今日食べたもの 友だちの送ってくれた琥珀糖

木曜日

とてとて19

夜になると毎日おなじように心臓の音がおおきくなり、動悸で寝付けなくなる。からだはひどく疲れているのに。
なにをどんなふうに食べていたかも思い出せない、無心でみかんばかり口に詰め込む。
流しが汚い、花が乾いている、洗濯物が畳めない。

いろんな約束を先延ばしにしてしまっている、手紙も、書くね書くねといいながら誰にも書けていない。心の中ではたくさん話しかけていて、会いたいなどうしているかなと思っている人にも、じぶんからはなにひとつ接触できない。

キセルやキリンジ、折坂悠太、中村佳穂、haruka nakamura、だいすきな人たちの歌をたくさん聴いて、声でなぞっているあいだはこれからもきっと、と思えるのだけれど、曲が終わってしまってひとり、自分だけの感情を抱えた私が取り残されてしまうと、やっぱり私にはなにもできなくて。彼や彼女らのようにかなしみも眩しく、柔らかく、表現できる人たちがいるのなら私はいらない、私はなにもしなくていい。でもなにかをしていないと、絶えず表現していないと気がおかしくなりそうで、でも表現したところで虚しくて、そのくりかえし。ずっとぐらぐらしている。

母が今日も気にかけて連絡をくれた。まわりの人びとがやさしくて、それさえ胸を締め付ける。


だれかきて、だれかたすけて、だれかきいて

誰も来るな、誰も触るな、誰にも分かるものか…


今はただあこがれをなるべくありのまま、心の中の箱にしまう。
蝶の標本に触れるみたいに慎重に、息を止めて、慎重に、顔がくしゃくしゃになって、腰が引けて、とてもおそろしいものに触れるみたいに慎重に、あこがれを、ずっと向こうにあるあこがれを、生いゆくじぶんと流れつづける世界をどうにか信じて、心の中の箱にだいじに仕舞う。

仕舞えたら、あとはすみやかに蓋を閉めて、なるべく直視しないことだ。
あこがれはその間接的な記憶と温度でたしかめているのがいい、なるべく直視せず、心の温まるに連れてゆっくりふくらんで自然に箱から出てくるまで、ただしずかに抱えておくことだ。

今日もたくさん祈りながら眠る。
もし生まれ変わるなら、どんなにはげしい競争をしても戦争だけはしない生き物に生まれたい。どんなに紅い血を飲むような生態をもっても、戦争だけはしない生き物に

水曜日

とてとて18

いま世界で起きていることを考えていたら朝からおかしくなってしまって、両親に電話をかけた。
ふたりは隣町の配達に出す野菜を仕分けているところだった。明確な理由があって、完全にどうしようもないことで苦しんでいるときの私に対してふたりはとてもやさしい(訳もなくかなしいときのきもちがあまり共有できないだけで、いつだってふたりはやさしいのだけれど)。
母は、そういうどうしようもなくやるせなく涙がでてくるときこそ表現したらよいと言った。とにかく目の前を生きて、死ぬまで生きてゆくしかないと。父は、今の時代の世界のことは22歳がひとりで考えるには重たすぎると言った。50歳の父でもむずかしいことについて22歳の私が答えをだせるわけがないのだ、だからたくさん本を読むといいよと言った。 年末、いっしょに塩を炊く約束をした。

泣きながらずっと、うん、うん、うんとこたえて2限の授業へ向かった。涙にエネルギーを持っていかれてどこもかしこも灰色だった、私のしらないところで今も誰かが怯えたり傷ついたり息を引き取ったりしているのが信じられないくらい、ここではなんでもなく時間が過ぎている。私は私の運びこまれたこの場所でできることをしないといけない。文学なんて、音楽なんて、と目の前のすべてぐちゃぐちゃに破りたくなる衝動にまけないように

ほんとうはやさしい小説のなかに没頭していたいけれど、知らないから余計におそろしくて、知ることでしか解消されない不安がおおきすぎて、歴史や国際政治や社会問題の書籍ばかり読んでしまう。くるしい、うう、ううと思いながらもそれを読むこと以外できない

母が、こんな思いこそ歌にしたらいいと言ってくれたけれど、それがずっと私にはおそろしい。どうしようもない思いに名前をつけてひとつの結果としてしまうことで、私自身がひとつゆるされたようなきもちになるのがとてもおそろしい。そうなりたくないと思っていてもきっとそうなってしまう。それに、根源的には目の前の死もとおくの死もどんな痛みもかなしみも私の中ではおなじであって、わざわざ区別して歌うこともなにかちがうような気がする。うまく言えない。こんな思いこそ、とはどういうことなんだろう、私は折に触れてずっとおなじことをおなじ思いで歌ってきたはずだ。それが伝わらないのだとしたらまだ私はくだらないことしかできていないのだと思う、これまでのことばも歌も。もっと深く心を見据えないといけない、もっと注意深く息をして声を呼びよせないといけない。

バイトの前の日でもあまり動揺しなくなった(そんなことよりもおおきな不安をたくさん抱えているからかもしれないけれど)。Kちゃんのくれたレモングラスをぐり茶といっしょに淹れた。ほっとしてまた涙がでてくる。慎重に暮らす、せめて祈りながら

火曜日

-

じぶんの幼い頃からおおきな存在だっただれかをすこしずつ失う歳になってしまったんだ。だれだっていつか身体を脱いでこの世界からはなれるのだということはもう擦り切れるほど自分でも考えてきたけれど、痛ましいとか、かなしいとかそういうくっきりとした感情でなくて、耳が金属のような音を立てるほど寒い日に急に暖かい部屋へ入ったときのような、プール授業のあとに廊下を歩いているときのような、全身の力がするすると溢れて、かくん と倒れてしてしまうような、そんな感触。

去年の春、はじめて出会った友だちの家から帰った日に、友だちのすきだった音楽家が亡くなった。あのときのきみもこんなきもちだったのだろうか。よわってしまってなにを言うにも曖昧なのだけれど、すきなだれかが姿を変えたことに取り残されてしまったようなきもちになって、心細くいるのだということを、身近なひとに知っていて欲しかったのかもしれない。

数日経った夜に、その子は珍しくぶわっと息せき切ったように連絡をしてきて、私は言いたくもないようなことばかりで相槌をうっていた記憶がある。あのとき、今のこんな思いできみの手をとってあげられたらよかったのに

ふだんはことば数おおく話せないひとにたくさん、たくさん思っていることを話したい。ベランダの先の眺めにひとり言つようにつらつらと きっと話せないのだろうけれど

谷川さんの詩集をあるだけ本棚から取り出してぽつりぽつりと読んでいる。今日は一段とさむくて日が暮れるのも早く感じる。

月曜日

とてとて17

盛岡で買った胡桃をようやく割った。
水に浸してから乾煎りして、マイナスドライバーでぐりぐりとヒビをこじあける。
欠けた殻が弾丸のように飛び散ったりしてけっこう危うい時間だった。
殻を割ってからも、なかの実を取り出すのにずいぶん苦労する。7割が粉々になってしまったけれど、欲しかったのは胡桃の殻のほうだからいいかな。それに、粉々の胡桃だっていろんなことに使える。カボチャと和えてサラダにしたり

きょうはぜったいお酒を飲まないと決めていたはずなのだけれど、ビリーホリデイを聴きながら、気がついたらブランデーを舐めている。もう1年くらい聴いているレコードなのに、さっき初めて、ビリーホリデイを知るきっかけになった曲が収録されていることを発見した。solitudeという曲。酔っ払ったときにばかり聴いていたから、ちっとも分かってなかった。ねむたくなってきて、まだお風呂もご飯も済んでいないのにこのままとろとろと気を失ってしまいたくなる。

パソコン上で完結するバイトは、はじめはいい条件だと思っていても次第に作業がむずかしくなってきて、けっきょく1ヶ月で単発1日分くらいしか稼げない。これに懲りてリモートバイトはやめてきちんと現場に出る機会を増やそうかなあ。人に会うことの不安定さと、報酬の保証されないことの不安定さ、どちらを取るか(こう言うことを考えるたびにもういいよ、もうどうでもいいよと心が拗ねてしまって消えたくなる)。

たくさん人に会って、わめいて、言うつもりのなかったことやうまく言いたかったのに失敗してしまったことがたくさんあっても、まだ私の手帳の中にしか共有されていないきもちの方がずっと多いと思う。じぶんについて洗いざらい共有されてしまうことや、共有されていると思われてしまうことが今でもこわい。こんなに窓の多いひらけた場所を選んで生きていて、勝手に隠れたくなっているのがそもそもちぐはぐなことなのだけれど。

冷え込みは日に日に厳しくなって、空気がしんとしていて、空がきれいで、頬がつめたくてほんとうにうれしい。街へ向かう曲がり坂を駆け上がるとき、深い森のような風がかおり立って切なくなって、友だちの隣にいるときとおなじきもちになる。うれしくて、本人にも今すぐ言いたくなるけれど、困らせてしまいそうでやっぱり言えない。ひっぱられて思うように振る舞えない。

ひとりの時間に満足しながら、心の中でずっとだれか、誰かってつぶやいて、あの子から連絡が来ないかな、あの子から手紙が来ないかなって頭の中がうるさくて、もう秋なのにぜんぜん腰を据えられないでいる。
なんの約束ごともないだれかに甘えたい、おおきく笑いながらどんどん冷えていく心の感触を、直にさわって確かめられたい。そんなこと出来っこないしよくよく考えればされたくもないのに、そうだといいのになっていつも思う。

金曜日

とてとて16

肌寒くなると、じぶんの過ちがふたたび繰り返される予感がして苦しくなる。
だれからも距離を置いて、身を隠して、なるべく余計なことをしないで激情が過ぎるのを待つ。
この冬を乗り越えられても、きっとわたしはおそろしい感情を克服できない。ただ旬を過ぎておとなしくなった果樹のように立ちすくむだけ。

淋しい思いをさせてくれる人を大切に思っている。すきな人がくれた淋しさはたからものだと思っている。でもそのせいで、自分が人に淋しい思いをさせてしまうことそのものにもあまり怖さを抱けない。悪いことをしているように思えない。それで、さんざん人を追い込んで、絞り出されたような淋しさを直接向けられたとき、急に堪らなくなって死にたくなる。そんなことをもう何年続けているのだろう。あまりにも自分勝手だ

やさしくすることと淋しくさせないことは違う。
私は大切な人たちにどうしたいのだろう?

誰かを思うときに誰かに背を向けていること、そういう当たり前のことが悲しくて、きもち悪くて、今すぐ私がこの存在ごといなくなれたらどんなに楽だろうと思う。
くるしい。恋だろうが愛だろうが、友だちだろうが家族だろうがなんだろうが、私には人に言えないきもちがある。それらを分かられたくもないし、触れられたくもない。でもいつかこんなじぶんの全てを知っていてくれる存在に会えたらと、気が遠くなるような思いで生きている。神さま。

私はいつだって、あなただけの私にはなれない。
特別だということをことばにしたくない。ことばにされた瞬間、完全ではないことを実感してしまって、もうおなじではいられない気がしてくる。

ひとりになりたい 物理的に観念的に ひとりになりたい うまれなおしたい


土曜日

とてとて15

別の場所で無造作につづけていたブログをやめて、自分がいかに黙っていられなかったのかを実感した。近ごろはもうとてもことばにできないよ、という思いで過ごしている。ほんとうのことは沈黙でさえ触れられないもの

夜、実家から届いた荷物にはいきいきとしたみどりたち。うれしく、あまりにもまぶしくてため息がでた。私の生まれた土地の生命力に打ちのめされてしまう。
食用ほおずき、今季最後のトマトたち、野沢菜、水菜、蕪にかぼちゃに青梗菜。
せいいっぱい迎え入れるのだ、と居直って竹ざるに野菜を乗せた。
夏、離れた街まで友だちとドライブをしたときにちいさな商店で買った竹ざるはかわいらしくてよい色をしている。この竹ざるに私が息を荒くしていたそばで、友だちふたりは大昔の雑誌を見ていた。手に取るたび過ぎた季節を思う。きっと向こうにとっては何気なかったあの日のことが私には今もじんとうれしくて。きょう名前を呼びあえるひとりひとり、どこからか告げられた順番にしたがってとおくへ行ってしまうのだと思うと目を瞑りたくなる。
これ以上人間をすきになりたくなくて、むりやり植物図鑑をひらいて編み針をたぐり寄せる。たのしいからではなく、かなしくなりたくなくて無心でつづけていることばかりだ。

とてとて28

ゆうべ友だちと話していて、「なんだかすごく覚えてる」もひとつの感情なのかなと思った。 彼女たちは記憶と感情がいつも明確に整理されているというか、感情のつまみを引いて記憶を取り出すような話しかたをしていたのだけれど、私は思い出したなにかがうれしかったとか悲しかったとかではなくて、た...

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