木曜日

とてとて41

どうしたらいいかわからない ひとりになりたい ずっとそう思ってる
必要とされなくていい どんなにあたたかな好意ももう ただ自分の首を絞めるいっぽう
くるしい じぶんが恐ろしくて きみと目も合わせられない

日曜日

とてとて40

日本海を抱えた石に頬を寄せていた 冷たい寂しい肌寒い匂い
部屋を一日も早くどうにかしなければならない 崩壊した空間で目覚めて眠る

水曜日

とてとて39

放心、あるいは思考停止、という言葉でじぶんにもう一枚膜を張ろうとしても、周囲にはうまく伝わらないし危ういものを遮断できるわけでもない。勝手に涙が出てきて、眠れるだけ眠って、さきのことに怯えて、くりかえし。

こうした曖昧な場所に私がムクさんのことを書きつづけても、私とおなじ思いでムクさんを思い浮かべられる人はきっといない。ムクさんが宇宙空間に放られたように尾鰭をさげて水槽の中ごろに留まっているのを見ると、一瞬じぶんと重なって、実は私こそがムクさんの位置にいて、ムクさんこそが私の位置にいるのではないかと思えてくる。どこまでが私の夢で、ムクさんの夢?

この部屋にムクさんがいること、サンセベリアが、フィカス・シャングリラが、ヒアシンスが、いること。本があること、ギターがあること、マトリョーシカや松ぼっくりがあること。その事実がもつ私への作用は私にしかわからない。

ポーター・ロビンソンのライブ映像を観ている。白い一日がきょうも緩慢なうごきでひらかれはじめる。きっとすごく疲れているのだ。もう他者に期待や予測をかけても仕方がない。慣れない流体力にふれて脈が崩れるたび、いちいち私は私ですきにやります、と心に叫んでしまう。私は私ですきにやります、あなたもあなたのままでいいと思う。ごめんなさい、また今度、もっとふたり見据えられる日までは、ほんとうにさよなら。

土曜日

とてとて38

パソコンと向き合う時間が長すぎて、目覚めてすぐ眼精疲労を感じる。
いちど整えた布団のうえに、気だるく倒れこむ。奥行きのある匂い。

カーテンの端から差し込むひかりが、うつ伏せになった私の毛先を通り抜ける。
自然の光線に染められた毛の色は弱った眼にもやさしかった。

ひかりはただすり抜ける。
毛はひかりに染まりながらも、そのひかりを一瞬でさえ捕まえておけない。

大気も栄養も、ことばも音楽も思想も、ただこの身体を通り抜けてゆくだけのものだとしたら。
なにに染まってどのような色を纏うかという問題も、もっと先天的で自由の効かないものなのかもしれない。選択だとか、責任だとか以前の現象。

日のひかりを浴びた私の髪の毛はなすすべなくただひとつの色に染まる。自然にふれるということは、そうしたなすすべない現象に身を委ねるということ。そのときに感じる非力さが、ときに心を慰めてくれるのだということを、覚えておきたい。

金曜日

とてとて37

ほんとうに自分が相手に拒まれているのか、相手の体裁を整えるために自分が削がれただけなのか、分からなくてすごく戸惑う。いっそ根こそぎ否定して仕舞えばいい。ずっとすれ違い、勘違いしかなかった、それにようやく気が付いただけなのかもしれない。

どこにも頼りようのないとき、ひとはとても敏感になる。肌に合わない明るさやちから強さを、すばやく嗅ぎつけて、傷つかないように必死に拒む。だから安心できるひとをもつのはこわい。明日も生きる気になっているいまの私は、かつてじぶんが誰かに対してそうしていたように、ある範囲の誰かからつよく拒まれているのだと思う。その中に、知っているひとも少なからずいるのかもしれない。

ほんとうにいよいよ修復できないのかと思うと、虚しくて、新たにひとと出会っても、時間や思いを共有しても、またいずれ引き裂かれるのだとしか思えなくなる。諦めよりももっと根本的に淡白で価値のない感情に全身が冷え切ってしまう。

変わったように思われてしまうのならそれまでだ、ほんとうに、相手にとって変わってほしくない部分が私の中で変化していたのなら、もう仕方がない。

でも、私はそんなにも浅はかだっただろうか。こんなに月日が経ったのに、じぶんの落ち度を認められないでいるのは、それだけあの頃もらったことばが信ずるに値するものだと思っていたからだ。あの頃交わしたことばが気まぐれで済ませられるものなのだとしたら、私はもう、どうしたらいい。気高いノスリに生まれなおして、来る日も来る日も松林のいただきから人間をながめてでもいようか。

こんなに会って話がしたいのに、会って拒まれない自信がない。
傷つけてないから大丈夫だと思えるだけの道徳がない。

君に会いたいけれどきっともうほんとうに会えない。
他にはなにもなくてただ、胸の真ん中に鋭い痛みがにじむ。

出来ることもないから、ひたすらじぶんの加害性を振り返る。
誰かをこんな思いにさせちゃだめだ、どんなに仕方なくても私はこの思いをこれ以上あらたに生み出してはいけない。

木曜日

とてとて36

壁にかけられたギターと床に寝かせられたギターとに、まったく異なる距離を思う。
いつも不思議なのだ、壁にかかっているギターは気高く触れがたく、精気が足りない者をすっかり拒んでしまう森厳さを持っているのに、一方テーブルの淵やベッドの上などに横たわるそれは、まるで馴染み深い猫のように親密な気配を漂わせていて、弾くつもりのない日でも自然と手を伸ばしている。近いようで遠く、つめたいようであたたかい。余りある程たのもしくて誇り高い絃楽器だと、常々思う。

夏には汗を吸い、冬には体温が伝うギター。はげしい動きを受けて傷を刻んだり、涙を滑らせることもある。おおきくて、なめらかなギター。いつとはなしに抱きしめる癖がついていたけれど、近ごろそれは、ギターが樹でできていることに因るものなのかもしれないと思うようになった。私は太くて背の高い長寿の樹に抱きつくのがすきだ。頬をあてると、心臓が樹の脈に呼応して、自分では及べない遥か昔や未来の振動までも伝わってくるような気がする。そのときの感触と、ギターを抱いているときの感触はとても近い。

樹は長生きする。永遠とまではいかなくとも、人間より遥かに長い時を生きる。大学の構内にそびえ立つ銀杏の樹が、折り重なる惨禍にも耐えて呼吸をつづけていたように、これまでもこの先も樹はたくましく生きる。

その樹からなるギターは、枯れもしなければ病にも倒れない。寿命というものすらないのかもしれない。人間と明らかに違う時間がギターには流れている。この美しい楽器は、人間よりずっと先までその存在を保つのだろう。見境ない戦争の先、気候変動の先、地球が消滅した先でさえ、あるいはそこに在りつづけるのかもしれない。 

まっさらな土のうえで、体育座りの(身動きのとれない)私とギターが長い月日をおなじように過ごすところを考える。私が飢え、あるいは凍え、干上がり、有害な閃光を受けて、いずれ白骨化しても、その隣にはただ滑らかに朝日を受けて夜露に濡れるだけのギターが横たわっているのだろう。

その終末の光景に、何度となく救われている。

月曜日

とてとて35

おととい、思いがけず同級生たちの今の姿を見た。私の行かなかった同窓会に集まる同い年の人びとの写真。名前や声までくっきり覚えている子や、面影に見覚えがあるだけで他のことはわからない子、写真を見てようやく数年ぶりにつよい記憶が蘇ってくる子、さまざまで、なんだか眩暈がするようだった。食い入るように見ていたら手が震え出したので、ラップトップを閉じた。笑顔の仮面をかぶって暗示に暗示をかさねたような懐かしい日々。生々しくて、淡白で、痛切でまぶしかった日々。起きていた出来事や自身を取り巻いていた世界は今思えばおそろしいものだったのに、当時の私はそれらに気がついたり面と向かって傷つくようなことを知らなかったからトラウマにもならず、それなりに笑ってひょうひょうと暮らしていた。妙な心地がする。ぜったいに戻りたくないけれど、恋しい。二度と会いたくないけれど、懐かしい。

昔すきだった子から誕生日にもらったBluetoothレシーバが壊れていた。タブをオフにしても電源が切れないのですぐ充電がなくなってしまう。しっかりした作りのものと思っていたので意外だった、機械の壊れ方はさまざまでおもしろい。私だって壊れた生き物なのだからこれ位のことはたのしんでいけるだろう。

ハーブティーとチョコレートで身体を覚まして課題をすすめる。マグカップは400mlほどたっぷり入るものばかり揃えてきたけれど、近ごろはもう少し小ぶりで品のあるものの方が自分のリズムに合っている気がする。

夕方、知人の画展を見にいこう。

火曜日

とてとて34

すこしずつ日が長くなり、空気の質感もやわらかくなってきたような気がする。
暦ではちょうど大寒の時期だというけれど、もう心はすっかり早足で春のほうへ向かっている。

年末に尿路結石で苦しんでいた弟が石出てきたよーと連絡をくれた。1センチくらいの薄橙色の石。やわらかい人間の身体から、かたい結晶が出てくるふしぎ。写真越しにみたその石はごつごつきらきらしていて、素直にきれいだった。診断されるまで不穏な痛みに見舞われていた弟を差しおいてそんなこと、呑気にも程があるかなあと思っていたけれど、弟も、ちょっときれいだから恨み半減だねと言っていてよかった。

バイトからの帰り道はまっすぐ坂をくだればそのまま河川敷へとゆけるのがうれしい。ぼんやり向こうに川の光をまとったような空気を感じて、そこまで行けずに自宅の方向へ身体を捻る日でも、土手の階段を見るだけですこし心が楽になる。きょうは久しぶりに川表まで歩いてまかないを食べた。学生たちが笑いながらランニングをしていてまぶしかった。

お昼、大学で友だちとふだんよりエネルギーの伴う話をした。自分ではいつもより角の立つ言い方をしてしまっている気がして帰りにひとり情けなくなっていたけれど、友だちはなんでもなかったように言ってくれた。やさしくない上に浅薄なのに、きっとまだ私は、やさしくなくて浅薄だねと言われてしまったとき、どうにかして釈明しようとするのだろう。きっとまだ意識の及ばないところでさまざまな人やものごとを突きとばしているし、そんな自分もどこか諦めようとしている。人を認めることの根底に、つよい我欲がある。自分の暴力性をまた忘れかけていた。しずかに小さく拳をかためる。

さいきんは20時までにシャワーを浴びるとよく眠れる。身体のためにそうしているけれど、明日までの距離が近くなって戸惑う。きょうも薄闇の中にムクさんと植物たちが溶け入っている。

日曜日

とてとて33

ひとりで目覚めてひとりで片付ける一日。
世界で起きていることにようやく目を向けはじめてから、みやこが息を引き取ってからのぐらぐらした日々をはかり知ってか、お知り合いがあたたかい小包を送ってくれた。母とならんでかじったチョコレートのことを思い出した。やさしさに胸がぎゅっとなった。

停戦合意が承認されてからも命が奪われていること、停戦合意が承認されても奪われた命が戻ってくるわけではないこと。もう手の施しようもないほど何層にも折り重なった自己矛盾のなかで、それでもおなじ時代に生きるひとりの人間として、耳や目を塞いではならないと思う。

みやこがいなくなってから、白猫のビビは居間のロッキングチェアやピアノの上でよく丸くなっている。母から、ゆうべ部屋の換気をしているとき、ビビが窓の隙間から飛び出した話を聞いた。地元では雪が深く降り積もったようで、ビビは外の世界に触れた途端、生まれてはじめての雪に全身包まれてしまったらしい。足を取られて飛ぶにも飛べずうごけずで、慌てふためいてうにゃうにゃうにゃと訴えていたと、母は笑いながら話していた。

目を閉じて、しろいビビがしろい雪の中に降り立つところを想像する。昨日この世界でたしかな現実として起きたその一瞬のことが、私にはなんだかとても神秘的でかけがえのないものに思えた。

水曜日

とてとて32

急にこれからのことがすべてうまくいかないように思えてきて、図書館の隅でちいさくなっている。友だちと会えば体と心をめいいっぱいに使って笑うようなことも出来たけれど、おんなじように眼を細めて顔を合わせていたあの子たちもそれぞれに生きて、やることがあるのだと思うと、一気にばらばらになったような気持ちになる。私ひとりじゃなんにもできない、子どもっぽくしゃがみこんでいる。

明日ははやく起きるけれど、そういえば明後日は学校もおやすみなのだ。うまくいかないなら限界まで眠ってしまうのがいい。そうやってこれまでもかろうじて日を繋いできた。

歌をうたうのも、だれかに手紙を送るのも、遊びに誘うのも、手を繋ぐのも、こうしてブログを書くのだって、私のやり方をなんらかの形で認めてくれている人にはすいすいと自由なふうに映っているのかもしれないけれど、なにかの拍子に足元がぐらついてしまえば、考えても練習してもさっぱり出来なくなってしまう。

ムクさんを見ていると、〈泳ぎ方=生き方〉というようなことを思わされる。私の歩き方と生き方はイコールで結べるようなものではなさそうだ。ムクさんのようになめらかに泳ぐように、私もあたりまえの毎日をすいすいと過ごしてゆけたらよかった。でも人間である以上、私が私という心と体を受け入れている以上、もうすこし日々は複雑で危うく醜くたよりなくそこにある。

日曜日

とてとて31

デキャンタということばを年始とお盆明けの数週間だけときどき思い出して、ひとり暮らしの流れを掴むころにさらりと忘れてしまう、というようなことをここ3年ほどくり返していた。

一年の生活のなか、実家の野菜を仕入れているお店で食事をするときにしかデキャンタというものに触れる機会がない。それはワインを数人で飲めるぶんだけ移し分けるためのガラス容器のことで、私たちのよく行くそのお店ではチェイサーもおなじ容器で提供される。デキャンタ、という響きとそのフォルムがすきで、吊り下げ電球と薪ストーブの炎とで上からも横からもやわらかく照らされているそれを、盛りあがる大人たちの話を傍耳にききつつぼんやり眺めているとたまらなく安心してくる。そうした瞬間にひとりおおげさに、静かに平和を思う。

今年あたらしかったのは、はじめて弟がその食事会に居合わせて心いっぱいに料理を堪能していたこと。それから、デキャンタもうひとつもらおう、それほんとにデキャンタっていうの、デキャンタだよ、デキャンタかなあ、という会話をしたこと。何気ない、なんでもないことばの行き来をひとりになってから擦り切れるくらい思い出す。なんでもないのにそれだけでほんのり満足してくる。

年始親戚一同と泊まりに行ったホテルのロビーに小さなバーがあって、お酒の味を覚えたばかりの弟はやけに目を輝かせていた。そのバーの名前である"voyager"の綴りをみて、ボヤゲー?と首をかしげる弟に、ボイジャーだよ、と教えたのだけれど、もう覚えていないと思う。けっきょく時間がなくてそのバーにも行けなくて、だから今度弟と会うときに、ウイスキーの美味しいバーに連れて行くのをひそかに楽しみにしている。ご飯もお酒もほんとうに美味しいものをほんとうに美味しいという、にこにこいろんなことを話す、弟の笑うきっかけになりたい。今日はそんないつかの妄想をふくらませてひどく呑気に過ごしていた。

眠たい目でムクさんのことをながめている。うちにムクさんがいてくれてよかった、サンセベリアもフィカスシャングリアもサボテンも、みんな、私の部屋にいてくれてうれしい。今夜は穏やかに眠ろう。

土曜日

とてとて30

どれくらい泣いてきたかとか、どれくらい揺らいでいるのかとか、そういうことを話しても、その頻度や程度が似ていても、やっぱり人と人は、どうしても人と人なのだろう。あかるい部屋で、日が暮れる頃には閉ざされてしまうその部屋で、するすると糸を縫うようにことばを重ねる時間は、きもちがいいのに終わったあと無性にさみしくて、また私は 人間を失敗したな と自分につぶやいてとぼとぼ帰るしかないのだった。ゆうべ泣いていたって、眠れなくたって、それは私そのものをしめす情報にはなり得ない。もっとあいまいな、空気みたいななにかがほどよく織り混ざったり、反応したり、かろうじて分かち合うということは、そういう類のことなのだと思う。

帰ってきて部屋が暖かいままで、家を出る時に暖房を消し忘れていたのだと気づく。居間でぼんやりビールを開けたけれど、見上げた先の時計のさす時間がうそみたいで、うそみたいだなあ とまたビールを飲む。夜の8時30分をしめすその振り子時計が、中学校の教室の朝8時30分をしめす味気ない電波時計とふいにかさなって、あの頃のそのじかんは朝読書のまっただなかだったなあ なんてことを思い出す。

串田孫一「若き日の山」を、盛岡で手に取った昨年の11月からだいじに大事に読んでいる。『笛』という、彼の息子リオのことを書いた文章がたまらなく胸に残る。リオは、リオは、という書き出しに、なんとも言いがたい切なさとあたたかさを感じて、彼はきっと実の息子のまえでもとてもちいさく咳をするような人なのだろうと思った。こちらまで泣きたくなってしまうのは、彼の文体の作用によるものなのか、私の個人的な状態のせいなのか、わからない。

リオは少女と共に彼の山小屋を訪ね、父親に笛を贈り、帰ってゆく。ふたりが山を降りたあと、彼は農家から子山羊を一頭譲り受けて、しばらく過ごしたあと、やっぱり農家へ帰してしまう。そうしてまたひとりきりの小屋に帰ってゆく。

もう小屋に待っているものは誰もいない。山羊もいない。冷たい秋の雨に濡れても、急ぐ理由は何にもない。濡れた着物を焚火に乾かしながら、また笛を鳴らすだけである。

すがるものを探すように、ひたすら本を読んでいる。ときどきギターを弾いたり、手帳をひらいたりはしてみるけれど、たよりなくてまた本をひらく。

*

いつか、いつになるかわからないけれど、そして誰の隣でそうなるのかもわからないけれど、おおきな声で新生児のように泣く日が来ると思う。死や、世界の広さや、すきな人をすきでいる堪らなさや、恋しさや、懐かしさや、悔しさや、ほんとうに言い尽くせないくらいの感情なにもかもを吐き出すように泣く日がきっと来るのだろうと思う。その日私はまるで汽笛を鳴らす船のように果敢なさまで、ながくながく、その瞬間にだけ生まれる空間を見つめて、網膜にうつりこむ光すべて吸収するように泣くのだろうと、思う。

*

みやこのことをかたときも忘れない。私以外のひと全員がうんざりしはじめる頃もきっとおなじようにみやこの名前を呼んでいる、そうしてみやこの隣にすこしずつ他のだれかも並んでゆく、いつか私自身も。死というものは、ずっとすきだっただれかの存在を一気に引き裂いてしまってつらい、死んだあとになってたまらなく歌にしたり書きとめたりしていることが浅はかなことだと思われてもきっと仕方ない、それでも死がもたらす切なさと甘やかさにすっかり縋って、許されているような心地で、いのちを讃えるようなことばかり日々に見出してしまう。かなしさときもち悪さと、わずかな安堵と、かわりようのないだれかへの思いとで均等に日常はめぐる。

みやこのことが恋しくて、くるしむ覚悟で動画や写真を見返すとき、なるべくみやこの眼や鼻だけに集中して、 ただの猫 獣の一種のうちの一個体 ほんの一瞬私たち人間と偶然交わっただけの儚い生きもの と思うようにしてみるのだけれど、やっぱりそこに映るのはいつでも世界にたった一匹のみやこで、たったひとりのみやこなのだった。思えばきりがないよ、あなたにほんのわずかな血肉だって捧げられなかった、あなたは私たちからなにも奪わずにいなくなってしまった。だれにもなにも訴えずにひとりでいってしまった。その気高さが私は今もたまらなくさみしい。

とてとて29

めまぐるしい1週間だった。

かろうじて気のもちようと片づけられていた寒気は火曜日から急激につよくなって、目を覚ますごと、立ちあがるごとに具合がわるくなっていくようだった。私は健康でない状態のすべてを(インフルエンザでも流行性耳下腺炎でもコロナウイルスでも)漠然と感冒だ、で片づけてしまうひとなので、やはりたいして病院に行く意欲もなく即効性のあるお薬でどうにかしたいとも思わず、ひたすらうなされながら食べて眠るという体育会系な態度で細菌とたたかうしかなかった。

かなりひどい状況だったのだけれど、どうしても集中講義とバイトから逃れられず、やけになってがつがつとやり過ごした。街のぜんぶけたたましくて、通りの全員のっぺりとおなじ顔をしていて、色と温度を保っていたのはそばにいてくれた友だちだけのように思えた。ほんとうにめまぐるしい日々だった。クリスマスも年の瀬の空気も嘘みたいだった。

おととい最後の授業を終えてやっと布団に全身を預けられ、ひとしきり眠って、今日ようやく熱が下がった。ここまで肉体的にも精神的にも辛かったのはいつぶりだろう、今年は打ちひしがれるような思いが抜けなくて、一年ごとずっとつらかったみたいな振り返りかたしかできない。

安心して眠れた日も、不安なまま眠るしかなかった日も、みやこのことを思っていた。どんな朝もおなじように、カーテンから漏れる橙の朝日にみやこの模様を思いだして、写真を見かえして、会えない日を丁寧に臆病に重ねている。咳き込んだり、からだが痛んだり、空腹で全身が燃え震えるようなとき、ああ、晩年のみやこもこんな思いしてたのかな、と考えるとよけい苦しくて、でも今となってはその苦しさだけが私とみやこをつなぐ最後の感覚でもあるから、名残惜しくて、ずっと縋っていたいような気もしていた。

*

預けっぱなしの心は、ほんとうにずっとそこに残りつづけるのだろうか。
ゲームの中のアイテムみたいに、その世界を支配する道理によってそっと私の元へ戻ってきてしまったりしないだろうか。それに気づかず、いつの間にかまた完全な心を抱えて、思っているより勇ましく血の気おおく歩いてしまわないだろうか。

取りかえしようもなく傷ついていることは、だれかを今につなぎ留めるための華奢なアンカーのようだと思う。傷をなでているあいだは手段を失っても尚あなたに心をさらしていられる。悩む猶予のある仲らいも、時をえらばない生死のもんだいも、ひとしくなめらかな絶望に収斂するのならせめて私たちらしく傷ついていたい。私たちのなかの大人の手が、あるいはもっと大きな神さまの手が、私たちをぐいぐいと対岸へ引き連れていってしまう前に。

*

まだ咳が治らなくて思うように生活できない。
ひどい風邪でもひかないと、このひと月のことは乗り越えてゆけなかったかもしれない。
寝苦しい夢とあいまいに混ざり合ってようやく、めちゃくちゃだった私たちも磨りガラス越しのきれいな過去になれる。きっとゆっくり、いつ思い出してもへいきな私たちになれる。

月曜日

とてとて28

ゆうべ友だちと話していて、「なんだかすごく覚えてる」もひとつの感情なのかなと思った。
彼女たちは記憶と感情がいつも明確に整理されているというか、感情のつまみを引いて記憶を取り出すような話しかたをしていたのだけれど、私は思い出したなにかがうれしかったとか悲しかったとかではなくて、ただひたすらつよく覚えていると感じることが多いのでいつも話がおちない。昔はそういうこともこわかったな

体調がわるくて、寒気がする。こころぼそい
ぎすぎすしてつよい記憶にあたまがぐるぐるする。

*

Eさんとのライブが無事に終わって、脱力とともに、かろうじて保てていた健全さがいっきに剥がれ落ちた気がする。皮膚の上で乾いた泥みたいに。
Eさんが、もうパパはここにいなくて、とこぼしたとき、会場から「いるよ、いるよ」という反応がかえってきて、そのとき私はそのやさしさをきちんと受け取った上で、「いないんだよ」と心に思った。いないことを含めてえみりさんの中にはずっといて、だから〈ここ〉にはどうしてもいないのだ、と勝手なことを思っていた。
Eさんの示した「いない」ということ、「いない」からこそEさんが生みだせた空気のうねりのようなものを、私のからだがなるべく長く覚えていられるといい。

音を添えるのはむずかしい。やっぱりむずかしかった。もっともっと自然な音が鳴るはずなのだけれど、私にはあれがせいいっぱいだった。けれど、Eさんが、私に初めて見せてくれたときよりもっと色濃くうつくしく踊り泣いていて、Eさんを思う人たちに見届けてもらえて、きっとそれ以上のことなんてなかったから、あの日はあの日のままでよかったのだろう。
たまらなく光栄で、私自身もずいぶん救われた日だった。

*

きょう、大学からかえるとき、喉はおもたく手足も凍え、心細くて頭が重くて、雪がしきりに舞っていて、死の香りが鼻の奥までしっかりしていた。心臓が怯えた金魚のようにこわばっていた。雪の降る日はどうしてこんなにしずかなのだろう。空をまっすぐみあげていると、記憶の、愛着の、後悔の、あこがれのすべてがぐちゃぐちゃにされて、なかったことみたいに透明になってすごいね。

じゅうぶんには会えなくて、大きな声で話せないくらいがいいのかもしれない。私ときみはそれくらい頼りないほうがいいのかもしれない。めぐりのために、ゆくさきの心のために。

*

いつまでも売れ残ってくれていると思っていた折坂悠太のユリイカが見当たらなかった。

とてとて27

心のさまは日常のいくつもの断面とかさなる。
不安になるくらい静かな鼓動が、なにかの拍子に怖いくらいうるさくなること。
明かりをつけても手をかざしても熟睡したままの金魚が、ふと眼をはなした隙になんでもないような顔でわたわたと泳いでいること。
ベランダのひなたで本を読んでいて、うたた寝から覚めた頃にはすっかり翳って手足が冷えていること。
さっきまで程よく煮えていた野菜が、次の瞬間につよい匂いを放って焦げ出すこと。
思い出したときにはもう花が枯れていること。
空き缶回収車が過ぎ去っていること。

あんなに生きていけると思っていたのに、あれ、あれ、と些細なつっかえを気にしているうちに手の施しようがなくなっている。日常のぜつぼうに決定的な間違いなんて見つけられない。だからただしく編み直すのにひどく時間がかかる。

お酒はのまなくてもまだ平気だ、眠りの質もよいし無茶苦茶なこともしていない。
でも、まともな頭で向き合う生活はすごく長い。泣きたくても勢いがないから泣けないし、ぐずぐずうずくまっているばかりだ。

おととい、きのうと友だちにたくさんの話をした。友だちの話もたくさん聞いた。カラオケに行って片想いをみんなで歌った。帰りは大粒の雨が降っていた。
今日までの一週間に、わたしはいろんな顔をしていろんなことを喋った。信じられなかったはずの一週間をきちんと生きて今もここにいて、そういうことがやっぱり明日からも繰り返されるのだと思うと、途方もない心地がする。怖いことばかりではなかったのだから、明日からだってうつむく必要はないのに、ひとりで考え込むとどうもよくない。


すきだったのに想いを断てなかった人がいるというのは、案外しあわせなことなのかもしれない。心を完全なままどこかへ預けたりとり戻したりすると、いつも乾いているか、いつも濡れているか、いつもここにあるか、いつもなんにもないか、みたいなことばかりで、とてもひとりでは面倒を見きれない。心の一部だけはあの子の元でずっと笑っていて、わたしはとり残された'あまり'の方なのだから、ぐしゃぐしゃになってもいいのだ。そう思っているほうがずっといい。

とてとて41

どうしたらいいかわからない ひとりになりたい ずっとそう思ってる 必要とされなくていい どんなにあたたかな好意ももう ただ自分の首を絞めるいっぽう くるしい じぶんが恐ろしくて きみと目も合わせられない