ほんとうに自分が相手に拒まれているのか、相手の体裁を整えるために自分が削がれただけなのか、分からなくてすごく戸惑う。いっそ根こそぎ否定して仕舞えばいい。ずっとすれ違い、勘違いしかなかった、それにようやく気が付いただけなのかもしれない。
どこにも頼りようのないとき、ひとはとても敏感になる。肌に合わない明るさやちから強さを、すばやく嗅ぎつけて、傷つかないように必死に拒む。だから安心できるひとをもつのはこわい。明日も生きる気になっているいまの私は、かつてじぶんが誰かに対してそうしていたように、ある範囲の誰かからつよく拒まれているのだと思う。その中に、知っているひとも少なからずいるのかもしれない。
ほんとうにいよいよ修復できないのかと思うと、虚しくて、新たにひとと出会っても、時間や思いを共有しても、またいずれ引き裂かれるのだとしか思えなくなる。諦めよりももっと根本的に淡白で価値のない感情に全身が冷え切ってしまう。
変わったように思われてしまうのならそれまでだ、ほんとうに、相手にとって変わってほしくない部分が私の中で変化していたのなら、もう仕方がない。
でも、私はそんなにも浅はかだっただろうか。こんなに月日が経ったのに、じぶんの落ち度を認められないでいるのは、それだけあの頃もらったことばが信ずるに値するものだと思っていたからだ。あの頃交わしたことばが気まぐれで済ませられるものなのだとしたら、私はもう、どうしたらいい。気高いノスリに生まれなおして、来る日も来る日も松林のいただきから人間をながめてでもいようか。
こんなに会って話がしたいのに、会って拒まれない自信がない。
傷つけてないから大丈夫だと思えるだけの道徳がない。
君に会いたいけれどきっともうほんとうに会えない。
他にはなにもなくてただ、胸の真ん中に鋭い痛みがにじむ。
出来ることもないから、ひたすらじぶんの加害性を振り返る。
誰かをこんな思いにさせちゃだめだ、どんなに仕方なくても私はこの思いをこれ以上あらたに生み出してはいけない。
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