いま世界で起きていることを考えていたら朝からおかしくなってしまって、両親に電話をかけた。
ふたりは隣町の配達に出す野菜を仕分けているところだった。明確な理由があって、完全にどうしようもないことで苦しんでいるときの私に対してふたりはとてもやさしい(訳もなくかなしいときのきもちがあまり共有できないだけで、いつだってふたりはやさしいのだけれど)。
母は、そういうどうしようもなくやるせなく涙がでてくるときこそ表現したらよいと言った。とにかく目の前を生きて、死ぬまで生きてゆくしかないと。父は、今の時代の世界のことは22歳がひとりで考えるには重たすぎると言った。50歳の父でもむずかしいことについて22歳の私が答えをだせるわけがないのだ、だからたくさん本を読むといいよと言った。 年末、いっしょに塩を炊く約束をした。
泣きながらずっと、うん、うん、うんとこたえて2限の授業へ向かった。涙にエネルギーを持っていかれてどこもかしこも灰色だった、私のしらないところで今も誰かが怯えたり傷ついたり息を引き取ったりしているのが信じられないくらい、ここではなんでもなく時間が過ぎている。私は私の運びこまれたこの場所でできることをしないといけない。文学なんて、音楽なんて、と目の前のすべてぐちゃぐちゃに破りたくなる衝動にまけないように
ほんとうはやさしい小説のなかに没頭していたいけれど、知らないから余計におそろしくて、知ることでしか解消されない不安がおおきすぎて、歴史や国際政治や社会問題の書籍ばかり読んでしまう。くるしい、うう、ううと思いながらもそれを読むこと以外できない
母が、こんな思いこそ歌にしたらいいと言ってくれたけれど、それがずっと私にはおそろしい。どうしようもない思いに名前をつけてひとつの結果としてしまうことで、私自身がひとつゆるされたようなきもちになるのがとてもおそろしい。そうなりたくないと思っていてもきっとそうなってしまう。それに、根源的には目の前の死もとおくの死もどんな痛みもかなしみも私の中ではおなじであって、わざわざ区別して歌うこともなにかちがうような気がする。うまく言えない。こんな思いこそ、とはどういうことなんだろう、私は折に触れてずっとおなじことをおなじ思いで歌ってきたはずだ。それが伝わらないのだとしたらまだ私はくだらないことしかできていないのだと思う、これまでのことばも歌も。もっと深く心を見据えないといけない、もっと注意深く息をして声を呼びよせないといけない。
バイトの前の日でもあまり動揺しなくなった(そんなことよりもおおきな不安をたくさん抱えているからかもしれないけれど)。Kちゃんのくれたレモングラスをぐり茶といっしょに淹れた。ほっとしてまた涙がでてくる。慎重に暮らす、せめて祈りながら