月曜日

とてとて28

ゆうべ友だちと話していて、「なんだかすごく覚えてる」もひとつの感情なのかなと思った。
彼女たちは記憶と感情がいつも明確に整理されているというか、感情のつまみを引いて記憶を取り出すような話しかたをしていたのだけれど、私は思い出したなにかがうれしかったとか悲しかったとかではなくて、ただひたすらつよく覚えていると感じることが多いのでいつも話がおちない。昔はそういうこともこわかったな

体調がわるくて、寒気がする。こころぼそい
ぎすぎすしてつよい記憶にあたまがぐるぐるする。

私が寝込んでいるとき、彼はなんでもしてあげるようと言いながらベッドの脇で手あそびをしていた。夕方に目覚めて、胃が空っぽで、なにか食べたいな、おなか空いたな、と言ったら彼はうんと答えた。なんとなく間延びしてきみはおなか空いている?と尋ねたら、まだそんなにかな、と返ってきて、彼はやんわりそのあともくつろいでいた。
そばにいてくれるあたたかさと、私ときみが反対の立場なら眠っている間におじやでもなんでもつくっているよ、というさみしさで、くるしくなった。
こわれゆく身体で涙目になりながら起き上がり、じぶんで釜を出してつくれるところまでご飯をつくった記憶がある。温かいものを食べたら、それまで上がる一方だった熱がすとんと下がった。ひとりの方がぜんぜん楽だったな、と思ってしまった。

でも彼のそういう無垢すぎるところを、きちんとつらい、私ならしないと言い切れるから、ずっといっしょにいられると思ったのだろう。
つらさ、あり得なさを見つけられないと、ただひたすらすきになるばかりで、こんな棘だらけのたましいでなんてとても近づけない。
いちばん近しい人に対して、私はよりいっそう残酷だ。

*

Eさんとのライブが無事に終わって、脱力とともに、かろうじて保てていた健全さがいっきに剥がれ落ちた気がする。皮膚の上で乾いた泥みたいに。
Eさんが、もうパパはここにいなくて、とこぼしたとき、会場から「いるよ、いるよ」という反応がかえってきて、そのとき私はそのやさしさをきちんと受け取った上で、「いないんだよ」と心に思った。いないことを含めてえみりさんの中にはずっといて、だから〈ここ〉にはどうしてもいないのだ、と勝手なことを思っていた。
Eさんの示した「いない」ということ、「いない」からこそEさんが生みだせた空気のうねりのようなものを、私のからだがなるべく長く覚えていられるといい。

音を添えるのはむずかしい。やっぱりむずかしかった。もっともっと自然な音が鳴るはずなのだけれど、私にはあれがせいいっぱいだった。けれど、Eさんが、私に初めて見せてくれたときよりもっと色濃くうつくしく踊り泣いていて、Eさんを思う人たちに見届けてもらえて、きっとそれ以上のことなんてなかったから、あの日はあの日のままでよかったのだろう。
たまらなく光栄で、私自身もずいぶん救われた日だった。

*

きょう、大学からかえるとき、喉はおもたく手足も凍え、心細くて頭が重くて、雪がしきりに舞っていて、死の香りが鼻の奥までしっかりしていた。心臓が怯えた金魚のようにこわばっていた。雪の降る日はどうしてこんなにしずかなのだろう。空をまっすぐみあげていると、記憶の、愛着の、後悔の、あこがれのすべてがぐちゃぐちゃにされて、なかったことみたいに透明になってすごいね。

じゅうぶんには会えなくて、大きな声で話せないくらいがいいのかもしれない。私ときみはそれくらい頼りないほうがいいのかもしれない。めぐりのために、ゆくさきの心のために。

*

いつまでも売れ残ってくれていると思っていた折坂悠太のユリイカが見当たらなかった。

とてとて27

心のさまは日常のいくつもの断面とかさなる。
不安になるくらい静かな鼓動が、なにかの拍子に怖いくらいうるさくなること。
明かりをつけても手をかざしても熟睡したままの金魚が、ふと眼をはなした隙になんでもないような顔でわたわたと泳いでいること。
ベランダのひなたで本を読んでいて、うたた寝から覚めた頃にはすっかり翳って手足が冷えていること。
さっきまで程よく煮えていた野菜が、次の瞬間につよい匂いを放って焦げ出すこと。
思い出したときにはもう花が枯れていること。
空き缶回収車が過ぎ去っていること。

あんなに生きていけると思っていたのに、あれ、あれ、と些細なつっかえを気にしているうちに手の施しようがなくなっている。日常のぜつぼうに決定的な間違いなんて見つけられない。だからただしく編み直すのにひどく時間がかかる。

お酒はのまなくてもまだ平気だ、眠りの質もよいし無茶苦茶なこともしていない。
でも、まともな頭で向き合う生活はすごく長い。泣きたくても勢いがないから泣けないし、ぐずぐずうずくまっているばかりだ。

おととい、きのうと友だちにたくさんの話をした。友だちの話もたくさん聞いた。カラオケに行って片想いをみんなで歌った。帰りは大粒の雨が降っていた。
今日までの一週間に、わたしはいろんな顔をしていろんなことを喋った。信じられなかったはずの一週間をきちんと生きて今もここにいて、そういうことがやっぱり明日からも繰り返されるのだと思うと、途方もない心地がする。怖いことばかりではなかったのだから、明日からだってうつむく必要はないのに、ひとりで考え込むとどうもよくない。


すきだったのに想いを断てなかった人がいるというのは、案外しあわせなことなのかもしれない。心を完全なままどこかへ預けたりとり戻したりすると、いつも乾いているか、いつも濡れているか、いつもここにあるか、いつもなんにもないか、みたいなことばかりで、とてもひとりでは面倒を見きれない。心の一部だけはあの子の元でずっと笑っていて、わたしはとり残された'あまり'の方なのだから、ぐしゃぐしゃになってもいいのだ。そう思っているほうがずっといい。

とてとて26

ふしぎな夢を見た。
みやこが冷たくなったあと、金魚に姿を変えて、生死をまきもどすように、花の蕾がひらくように泳ぎ出すのを見届けた。
ことばで説明するとしらじらしく感じられるけれど、私の中ではかけがえのない光景だった。たいせつな存在がからだを持っているということに、いつまでしがみついてしまうのだろう。

年の瀬のライブに向けて、毎週音合わせをしている。
いっしょに出演するEさんが無音で踊る時間を、ぼんやりながめているのがすきだ。
きょう、Eさんはからだを火照らせながらおどり泣いていた。あんなにきれいに涙を流すひとをはじめてみた。今回のお誘いに対しては、まったくいい意味で、なにかをおおきく期待するというようなことがいっさいなかったのだけれど、もう、今日でじゅうぶんだ、と思った。窓から小粒のひかりがいくつも揺れていた。

Eさんを見ていると、Eさんにからだがあってよかった、と思う。そんなEさんの心をすこしでもひきだせるような音を鳴らすために(ときに静寂を生みだすために)、いま私にはまだからだが必要なのだ、とも思う。でもからだが無くても、からだが無いなりにみんな自由にやれているような気がする。すきに夢にあらわれたり、すきにひかりを揺らしたり、すきにもの音を立てたり、ささやいたり。
そんな風に思えたきょうの空気が、22日、来てくれた人たちにも伝わるのならどれだけうれしいだろう。夕べまでの錆のような重たい不安は、おなじ重みでも、もっとしっとりとした祈りに変わった。いまの私にはきちんとはこび届けられるものがある。それをそばで見ていてくれる存在がいる。

時間がたしかに過ぎてゆく。数えきれないほどの〈あの日〉から、一歩ずつ離れてゆく。さびしいのはどんな日でもかわらない、これからもずっとかわらない。なにを失っても、なにを得ても。樹洞のように傷ついた感触をたしかめて、かわらないさびしさに縋りながら、すくわれながら、なつかしい来訪者を待っていよう。いつの日も木のように居られたらいい。

日曜日

とてとて25

みやこがもういないということを考えても考えても、どうしても日常はつづく。
やらないといけないこともたくさんある。ごはんを食べないと内臓がちぢむようだし、座りっぱなしだと胸がつまる。

みやこに会えないことが信じられないままずーっとずうーっとつづいてゆく。
きょうはこごえながら市子さんのライブを見にいった。

市子さんが歌ってくれているあいだは、からだを脱いだわたしのともだちもみんなそばにいるような気がして、もちろんみやこも、まじわらないせかいになにかを嗅ぎつけて、市子さんの足元まで来ているような気がした。涙がとまらなかった。みんな泣いていた。

市子さんが、こんなところまで来てくれる人たちはみんな変な人だと思うけれど、と言っていて、なんだかとてもうれしかった。

市子さんが歌いおわって、冷たい道を歩いて帰ってきた。
家に着いてみやこの写真をみたら、また呆然としてしまって、やっぱりだれかに先立たれる痛みというのはとてもゆっくりとした時間をもっているのだろうと思いなおす。

それでも、市子さんが歌ってくれたあの時間、あの時間だけひたすら溢れるままに泣いて思い思いの世界に浸れていたという記憶が、これからの私にあってよかった。
生きているかぎりはしかたなく、からだを通して、世界をうけとめてゆこうと思う。

とてとて28

ゆうべ友だちと話していて、「なんだかすごく覚えてる」もひとつの感情なのかなと思った。 彼女たちは記憶と感情がいつも明確に整理されているというか、感情のつまみを引いて記憶を取り出すような話しかたをしていたのだけれど、私は思い出したなにかがうれしかったとか悲しかったとかではなくて、た...

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