彼女たちは記憶と感情がいつも明確に整理されているというか、感情のつまみを引いて記憶を取り出すような話しかたをしていたのだけれど、私は思い出したなにかがうれしかったとか悲しかったとかではなくて、ただひたすらつよく覚えていると感じることが多いのでいつも話がおちない。昔はそういうこともこわかったな
体調がわるくて、寒気がする。こころぼそい
ぎすぎすしてつよい記憶にあたまがぐるぐるする。
私が寝込んでいるとき、彼はなんでもしてあげるようと言いながらベッドの脇で手あそびをしていた。夕方に目覚めて、胃が空っぽで、なにか食べたいな、おなか空いたな、と言ったら彼はうんと答えた。なんとなく間延びしてきみはおなか空いている?と尋ねたら、まだそんなにかな、と返ってきて、彼はやんわりそのあともくつろいでいた。
そばにいてくれるあたたかさと、私ときみが反対の立場なら眠っている間におじやでもなんでもつくっているよ、というさみしさで、くるしくなった。
こわれゆく身体で涙目になりながら起き上がり、じぶんで釜を出してつくれるところまでご飯をつくった記憶がある。温かいものを食べたら、それまで上がる一方だった熱がすとんと下がった。ひとりの方がぜんぜん楽だったな、と思ってしまった。
でも彼のそういう無垢すぎるところを、きちんとつらい、私ならしないと言い切れるから、ずっといっしょにいられると思ったのだろう。
つらさ、あり得なさを見つけられないと、ただひたすらすきになるばかりで、こんな棘だらけのたましいでなんてとても近づけない。
いちばん近しい人に対して、私はよりいっそう残酷だ。
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Eさんとのライブが無事に終わって、脱力とともに、かろうじて保てていた健全さがいっきに剥がれ落ちた気がする。皮膚の上で乾いた泥みたいに。
Eさんが、もうパパはここにいなくて、とこぼしたとき、会場から「いるよ、いるよ」という反応がかえってきて、そのとき私はそのやさしさをきちんと受け取った上で、「いないんだよ」と心に思った。いないことを含めてえみりさんの中にはずっといて、だから〈ここ〉にはどうしてもいないのだ、と勝手なことを思っていた。
Eさんの示した「いない」ということ、「いない」からこそEさんが生みだせた空気のうねりのようなものを、私のからだがなるべく長く覚えていられるといい。
音を添えるのはむずかしい。やっぱりむずかしかった。もっともっと自然な音が鳴るはずなのだけれど、私にはあれがせいいっぱいだった。けれど、Eさんが、私に初めて見せてくれたときよりもっと色濃くうつくしく踊り泣いていて、Eさんを思う人たちに見届けてもらえて、きっとそれ以上のことなんてなかったから、あの日はあの日のままでよかったのだろう。
たまらなく光栄で、私自身もずいぶん救われた日だった。
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きょう、大学からかえるとき、喉はおもたく手足も凍え、心細くて頭が重くて、雪がしきりに舞っていて、死の香りが鼻の奥までしっかりしていた。心臓が怯えた金魚のようにこわばっていた。雪の降る日はどうしてこんなにしずかなのだろう。空をまっすぐみあげていると、記憶の、愛着の、後悔の、あこがれのすべてがぐちゃぐちゃにされて、なかったことみたいに透明になってすごいね。
じゅうぶんには会えなくて、大きな声で話せないくらいがいいのかもしれない。私ときみはそれくらい頼りないほうがいいのかもしれない。めぐりのために、ゆくさきの心のために。
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いつまでも売れ残ってくれていると思っていた折坂悠太のユリイカが見当たらなかった。