放心、あるいは思考停止、という言葉でじぶんにもう一枚膜を張ろうとしても、周囲にはうまく伝わらないし危ういものを遮断できるわけでもない。勝手に涙が出てきて、眠れるだけ眠って、さきのことに怯えて、くりかえし。
こうした曖昧な場所に私がムクさんのことを書きつづけても、私とおなじ思いでムクさんを思い浮かべられる人はきっといない。ムクさんが宇宙空間に放られたように尾鰭をさげて水槽の中ごろに留まっているのを見ると、一瞬じぶんと重なって、実は私こそがムクさんの位置にいて、ムクさんこそが私の位置にいるのではないかと思えてくる。どこまでが私の夢で、ムクさんの夢?
この部屋にムクさんがいること、サンセベリアが、フィカス・シャングリラが、ヒアシンスが、いること。本があること、ギターがあること、マトリョーシカや松ぼっくりがあること。その事実がもつ私への作用は私にしかわからない。
ポーター・ロビンソンのライブ映像を観ている。白い一日がきょうも緩慢なうごきでひらかれはじめる。きっとすごく疲れているのだ。もう他者に期待や予測をかけても仕方がない。慣れない流体力にふれて脈が崩れるたび、いちいち私は私ですきにやります、と心に叫んでしまう。私は私ですきにやります、あなたもあなたのままでいいと思う。ごめんなさい、また今度、もっとふたり見据えられる日までは、ほんとうにさよなら。