水曜日

とてとて39

放心、あるいは思考停止、という言葉でじぶんにもう一枚膜を張ろうとしても、周囲にはうまく伝わらないし危ういものを遮断できるわけでもない。勝手に涙が出てきて、眠れるだけ眠って、さきのことに怯えて、くりかえし。

こうした曖昧な場所に私がムクさんのことを書きつづけても、私とおなじ思いでムクさんを思い浮かべられる人はきっといない。ムクさんが宇宙空間に放られたように尾鰭をさげて水槽の中ごろに留まっているのを見ると、一瞬じぶんと重なって、実は私こそがムクさんの位置にいて、ムクさんこそが私の位置にいるのではないかと思えてくる。どこまでが私の夢で、ムクさんの夢?

この部屋にムクさんがいること、サンセベリアが、フィカス・シャングリラが、ヒアシンスが、いること。本があること、ギターがあること、マトリョーシカや松ぼっくりがあること。その事実がもつ私への作用は私にしかわからない。

ポーター・ロビンソンのライブ映像を観ている。白い一日がきょうも緩慢なうごきでひらかれはじめる。きっとすごく疲れているのだ。もう他者に期待や予測をかけても仕方がない。慣れない流体力にふれて脈が崩れるたび、いちいち私は私ですきにやります、と心に叫んでしまう。私は私ですきにやります、あなたもあなたのままでいいと思う。ごめんなさい、また今度、もっとふたり見据えられる日までは、ほんとうにさよなら。

土曜日

とてとて38

パソコンと向き合う時間が長すぎて、目覚めてすぐ眼精疲労を感じる。
いちど整えた布団のうえに、気だるく倒れこむ。奥行きのある匂い。

カーテンの端から差し込むひかりが、うつ伏せになった私の毛先を通り抜ける。
自然の光線に染められた毛の色は弱った眼にもやさしかった。

ひかりはただすり抜ける。
毛はひかりに染まりながらも、そのひかりを一瞬でさえ捕まえておけない。

大気も栄養も、ことばも音楽も思想も、ただこの身体を通り抜けてゆくだけのものだとしたら。
なにに染まってどのような色を纏うかという問題も、もっと先天的で自由の効かないものなのかもしれない。選択だとか、責任だとか以前の現象。

日のひかりを浴びた私の髪の毛はなすすべなくただひとつの色に染まる。自然にふれるということは、そうしたなすすべない現象に身を委ねるということ。そのときに感じる非力さが、ときに心を慰めてくれるのだということを、覚えておきたい。

とてとて41

どうしたらいいかわからない ひとりになりたい ずっとそう思ってる 必要とされなくていい どんなにあたたかな好意ももう ただ自分の首を絞めるいっぽう くるしい じぶんが恐ろしくて きみと目も合わせられない